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32歳で逝去…バースが「クレージーだ」と驚いた「炎のストッパー」は

週刊ベースボールONLINE

「弱気は最大の敵」「1球入魂」を掲げて



広島のクローザーとして活躍した津田(右。左は川口和久)

 魂のこもった直球を武器に多くの逸話を残した右腕がいる。「炎のストッパー」と形容された広島の津田恒実だ。

 山口県都濃郡南陽町(現周南市)で生まれ育った津田は南陽工高で1年からエースとなり、甲子園に2度出場。社会人野球の協和発酵(現協和キリン)に入社し、都市対抗や日本選手権の快投で剛腕投手として評価を上げた。希望球団だった広島にドラフト1位で入団。1年目の82年に11勝6敗、防御率3.88で球団初の新人王に輝いた。

 2年目も前半戦から勝ち星を重ねて9勝をマークするが、後半戦からルーズショルダー、中指の血行障害に悩まされる。3年目の84年は14試合登板に終わり、4年目の85年も22試合登板で防御率6.64と精彩を欠いた。

 津田は繊細な人間だった。アマチュア時代から直球は速かったが、制球難で周囲の反応が気になった。神経が研ぎ澄まされ、登板前夜に一睡もできなかったことも。精神的に弱かった自分を変えたかったのだろう。85年に「恒美」から「恒実」へと改名。背番号も「15」から「14」に変更した。そして、血行障害を治すため世界初となる中指の靱帯を摘出する手術を受ける。

 守護神となった86年。「弱気は最大の敵」、「1球入魂」を座右の銘にする津田の投球は鬼気迫るものを感じた。5月8日の阪神戦では9回裏二死満塁のピンチでこの年の三冠王を獲得したバースと対戦。すべて150キロを超えるインハイの速球で3球三振に仕留め、バースは「津田のストレートはクレージーだ(すごい)」とうなった。

 同年はライバルの巨人相手にも15試合登板で1失点。9月24日の巨人戦で四番の原辰徳は津田の直球をファウルした際、手のひらを骨折した。原は後年こう振り返っている。

「その前、守備で飛び込んだときに人工芝に突いてしまって、左手首が痛かったんですよ。優勝争いもしていたので、なんとかごまかしながらやっていた。そうしたら最後、いい場面で自分に(打順が)回ってきてね。六、七分の力でしか打てない、それ以上の力で打ったらおかしくなるな、というのは自分で感じていたんだけど、津田がまさに全力投球でしょ。それに対して自分の力をセーブするなんてダメだと思ったんですよ。それで『よし、この打席、行こう!』と思い切って振った。いまだに、このときのスイングは自分の一番いいスイングだと思っています。それでファウルだったけど、当たったときにバキッと音がした。(骨が)折れたことには悔いはなかったですよ。津田というのは、そういうふうに思わせるピッチャーでしたね」

 86年は前半戦を防御率0点台で折り返すなど、4勝6敗22セーブ、防御率2.08と鮮やかに復活してカムバック賞を受賞。リーグ制覇に大きく貢献した。87年も47試合登板で3勝4敗18セーブ、防御率1.64の好成績で球界を代表する守護神になった。

全盛期が続くはずが……



真っ向勝負のスタイルで打者を抑え込んだ津田

 投球の大半を直球が占める攻撃的なスタイルで、時に手痛い一打を浴びる時も。88年は20セーブを挙げたが9敗を喫し、「サヨナラの津田」とも揶揄された。それでも、津田はたくましかった。翌89年に12勝5敗28セーブ、防御率1.63で最優秀救援投手を獲得。投げ終わった後も、鬼の形相でマウンドから2、3歩降りて捕手の送球を受けとって打者をにらみつける。普段は冗談が好きな優しい男だが、マウンド上では豹変した。そんな津田の姿が頼もしく、広島ファンだけでなく野球ファンから絶大な人気を誇った。

 この時まだ29歳。津田の全盛期はまだまだ続くはずだったが、体に異変が起きる。90年に度重なる故障で4試合の登板に終わると、頭痛など身体の変調を訴えるようになる。91年に体調不良を抱えたまま開幕を迎え、4月14日の巨人戦で1点リードの8回表に救援するが、原に同点適時打を打たれるなどわずか9球で降板。これが生涯最後の登板となることは当時想像もできなかった。

 頭痛が長らく治まらなかったこともあり、この試合の翌15日に広島大学病院で検査入院。精密検査の結果、手術で摘出できない位置に悪性の脳腫瘍があることが判明。済生会福岡総合病院へ転院し、闘病生活に入る。5月20日に準支配下登録となった後に退団届を提出。津田自身は病名の告知を受けていたが、球団は周囲の動揺を避けるため本当の病名を伏せ、「水頭症のため引退」と発表した。

 津田は最後まで必死に生き抜いた。一時は奇跡的な回復を見せて現役復帰に向けたトレーニングも行うようになったが、92年6月ごろから病状が悪化。93年7月20日に32歳の若さで亡くなった。広島の山本浩二監督や選手たちは喪服ではなく、ユニフォーム姿で葬儀に参列して涙を流した。

 通算286試合登板で49勝41敗90セーブ、防御率3.31。全身全霊で駆け抜けた津田の生き様は後輩たちに引き継がれている。広島で背番号「14」を継承した大瀬良大地、同じく背番号「14」を着用している楽天の則本昂大は目標の投手として津田の名を挙げている。

写真=BBM

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