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切断されても生きてる、しゃべれる。断首された後、その頭を持つ聖人の歴史

カラパイア

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 西洋におけるキリスト教の宗教絵画や彫刻には、断首された頭を持つ聖人の姿が描かれているものがある。聖人は首をはねられても死なず、言葉を発したり、あるいは自分の首を墓地に運んだり、さらには転げ落ちた際にまた頭がひっついたなんて逸話すらある。

 なぜ聖人は、断首された首を持つようになったのか?そのルーツは?ここでは断首聖人たちの歴史について見ていくことにしよう。


9歳で斬首され、自分の首を拾い上げ祈りの言葉を発した聖ジャスタス


 3世紀頃のローマ帝国で聖ジャスタスはわずか9歳で斬首された。キリスト教徒だったせいだ。その直後、ジャスタスの胴体が自分の首を取り上げて、ほんのひと言かふた言、祈りの言葉をしゃべった。

 ジャスタスを斬首した兵士は肝をつぶして逃げ出したという。ジャスタスの父親は、息子の胴体が座ったまま自分の首を膝の上においた状態でいるのを見た。そして、再び首が口を開き、首を母親のところへ持っていってキスしてもらいたいと頼んだ。ジャスタスは、自分が崇拝の対象となる聖人になることがすでにわかっていたようだ。


自らの頭を持ち墓地まで運んでいった聖人ドニ


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 ジャスティスには、首を持つ聖人のいいお手本がいた。パリの聖ドニだ。ドニは自分が殺されたモンマルトルから、のちに建てられるフランス王たちの墓所まで、自ら9.5キロメートルも歩いて自分の首を運んだことで、もっとも有名な守護聖人だ。彼の首は運ばれている間、道行く人にずっと教えを説いていたという。


断首された頭を運んだ聖人は120人以上


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 他にも様々な逸話があるヒネス・デ・ラ・ハラは 自分の首をローヌ川に投げ込んだ。また、ウェールズのウィニフレッドの首は丘を転げ落ちて、自分の胴体とくっついたという。

 自分の首を運んだことが知られる有名な人たちは、全部で120人以上いる。彼らは斬首されて殉教したが死ななかった、あるいは少なくともすぐには死ななかった。

 その首が胴体から切り離されてもなお生き続けたキリスト教の聖人は、ヨーロッパ人だけでなかった。初期のケルト文化もまた首に固執し、キリスト以前のケルトにも切断された頭がしゃべった例がいくつかある。首のないキリスト教の聖人は、もっと古いケルト信仰から発展したのだろうか? それともまったく個別に現われたものなのだろうか?
 

ギリシャ神話の時代からあった、断首生存の歴史


 首のない胴体だけの状態で生きていたり、切断された首にしゃべる力が残っていたのは、キリスト教の聖人だけではない。ギリシャ神話のオルフェウスの首は、マイナスたちによって切断されても予言を続けたし、ウェールズのサーガでは、ブランの首がロンドンのある場所に埋葬してくれと頼み、埋められる前に数十年に渡ってあの世での饗宴で自分の兵士たちを楽しませ、守った。

 14世紀のサー・ガーウェインと緑の騎士の話には、サー・ガーウェインが騎士の首を討つと、胴体がそれを拾って走り去ったという。アイルランド伝説のデュラハンは首のない騎士で、これをベースにアメリカで同様の伝説『スリーピー・ホロウ』の首なし騎士が生まれた。

 世界中に似たような話はあるようだが、首なし騎士の話と、ハロウィーンのジャック・オランタンの伝統の出所が同じアイルランドというのは偶然なのだろうか? カブの頭やパンプキンのジャック・オランタンは両方とも、ブランの首が彼の兵士たちを守ってくれたように、あの世からやってくる悪霊からわたしたちを守ってくれるのだろうか? 似たような話のあらゆるバージョンが、時代や場所を問わず語り継がれてきたのだろうか?

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 聖ジャスタスやほかの首なし聖人を、パワーをもつ首に凝縮した古いケルトの伝統と結びつけ、数々の真冬の祭典がクリスマスにつながったのと同じように、キリスト教信仰につなげたがるのはわかる。

 しかし、首なし聖人の話は完全に独立して生まれ、とりわけ信仰の中心にキリスト教徒の首を根づかせたという説にはさまざまな議論がある。

 中世の美術史家のスコット・モンゴメリーは、聖人の骨を収めた宗教用容器である聖骨箱についての論文を執筆しているとき、切断された自分の首を運ぶ聖人について興味をもち始めたという。

 そして多くの話が、同じような構成なのに気づいた。聖ドニのように、みんな自分の首を自分の胴体が安置される場所に自ら運んでいる。これはみんな、聖人の力が死を越えたものであること、復活を示していて、聖人の遺体が特別な場所に安置されることを表わしている。

 モンゴメリーは、聖人の遺骨には特別な強い力が宿っているという途方もない概念を現実にしたいという願望によって、いかに中世の芸術が発展したかを考えるようになり、しまいには遺骸をよみがえらせる手段なのだと解釈したという。頭蓋骨を祭壇の上に置き、人々にこれが聖人の存在だと説くことで広まっていったのだ。

 歩く首なしの死体は異様かもしれないが、首の遺骸がどうしてそこにあるのかの説明になる。たいてい、遺骸が安置されている修道院や教会から話が発生している。

 モンゴメリーの考えでは、これらの話と切断された首を中心とするケルト文化の伝説には関連性はないという。ふたつを無理やり結びつけようとすると生じる問題は、両者の話の地理的な距離と、これらの話が広がった時期のずれだ。ケルトはイギリス諸島の西の地域に孤立していてるし、時代的にもイタリアやフランスで首を持ち歩く話が知られる前の話だし、場所のつながりもない。

 ケルトの首なし話とキリスト教の首なし話を結びつけたのは、カトリック教会が発表し、ある特定の場所に力が宿るというイメージを定着させたせいで、みんながただその話をしているだけなのだ。

 最初の1000年が始まる数百年前、ローマの征服までに、ケルト文化がヨーロッパやイギリス全土にも広がっていたという証拠はいくつかある。この時代は首に対して異常なほどの興味が広がっていた。フランスのいくつかの考古学的発掘現場では、首が切り離された彫刻や、明らかに頭骨を意識した聖遺物が見つかっている。

 さらに、もっともよく知られていておもしろいのは、ブランの話だろう。ブランは徳の高い王で、自分の兵士を率いてアイルランドでの戦闘に臨み、虐待されていた妹をその夫の手から奪い返した。ブラン自身も傷を負い、死ぬ前に兵士に自分の首をはね、英国に埋葬するよう指示した。

彼の首はその体を離れてなお、兵士たちに指示を与え、彼らは80年の間、あの世で楽しく暮らしたという。ひとりの兵士が饗宴が終わるまであるドアを開けてはならないという首の指示を忘れて、現実の世界に戻ったが、そこで自分たちの敗北を目の当たりにするはめになった。

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 書かれた文献はなにもないのに、学者たちはこのような話を、長いことキリスト以前のケルト文化への手引きとして考えていた。ケルト信仰の実際の証拠はほとんどなく、最近ではこれらのサーガが遠い過去についてどれだけ真実を語っているのかは疑わしいとしている学者もいる。キリスト教の首なし聖人の話との関連はいくぶん乏しいし、ましてや首がしゃべるという話も同様だ。

 遠い過去と当時の伝説との間、キリスト教とキリスト教以前の伝説との間にどんなつながりがあるのかは、細心の注意をはらって検証していかなくてはならないと言うのは、ウェールズ大のマリオン・レフラー。しかし、共通のつながりがある可能性を捨てきれない学者もいる。

 興味深い説は、ケルトの神であるオグミオスへの着眼だ。舌の先に追従者の耳につながる鎖がついている姿で描かれ、これはよく、その首からもたらされる言葉が、人に影響を与える力をもっているという、彼の雄弁さを表わしていると解釈される。安易に結びつけてはいけないが、これも聞く者を惹きつける雄弁な首が関連してくる。これがもしかしたら、初期のキリスト教徒が、生きるのに不可欠な首と切断された首を結びつけたきっかけだったのかもしれない。

 にもかかわらず、ブリテン島の首なし聖人は、斬首について独自の解釈をもっている。ウィニフレッドのように、一部は自分の首を元に戻している。これについては、キリスト教以前に優勢だった戦士文化への反論という学術的な解釈がある。確かに首は大切なものだが、切断されたしゃべる首よりも、切り離されても生きるような必要のない首のほうがいいだろう。


via:atlasobscura.・translated konohazuku / edited by parumo


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