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野村監督の意外な口癖「講演は苦手」40年守り続けた師の教え

SmartFLASH

 楽天の監督を退任したあとでも、講演の依頼は少なくなかった。講演料は、けっして安くない金額に設定されていたにもかかわらず、月に1本くらいのペースだ。

 

 これだけ数をこなしていれば、さぞかし講演には慣れているだろうと思っていた。実際、話の内容は何度聞いてもおもしろいし、間合いや流れも絶妙である。まさしく、“講演の名手” だった。

 

 ところが、意外にも監督は「講演は苦手や」が口癖だった。その理由について、こう説明してくれた。

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「野球の試合は、必ず結果が出るじゃない。勝ったか負けたかハッキリしている。でも、講演には、それがないんだよ。お客さんの反応を見ていてもイマイチよくわからない。

 

 終わったあとは、みんな『よかったですよ~』と言ってくれるけど、そんなもん、そう言うに決まっている(笑)。自分の仕事がよかったのか悪かったのかわからないのが、なんとも後味が悪い」

 

 そう言われても、「講演は苦手だ」というのが本心なのか、私は疑っていた。というのも、講演の事前準備の際は、以下の内容を主催者側に確認することが、欠かせなかったからだ。

 

「講演時間は90分でお願いしたいのですが、それでも話が終わらないことがほとんどです。だいたい20分くらいは延長になることが多いですが、大丈夫でしょうか」

 

 するとたいてい、このように聞かれる。
「どうしても終わっていいただきたいときは、どうしたらよいですか?」

 

 私の答えは決まっていた。
「司会の方から優しく、『監督?』と話しかけてみてください。そして『会場の都合もありますので……』と続けていただければ、監督も切り上げてくれます」

 

 そう、監督はいつも90分では話し足りないのだ。そのような人が、どうして講演に苦手意識があるというのだろうか。

 

 そんな折、とある地方での講演で、珍しい光景を見ることになった。段取りの打合せも終わり、控え室で監督と私で2人きりになると、監督が上着の内ポケットからおもむろに1枚の紙を取り出した。よく見ると、手書きのメモがびっしりだった。

 

 A4サイズほどのその紙は、広げた状態ではひどく乱雑なメモに見えた。しかしコンパクトに折りたたまれると、どの面からでもメモが読めるようになっていた。

 

 私はデリカシーを欠いて、思わず監督に話しかけてしまった。
「監督、びっしり書いてありますね」

 

 監督はメモから目をそらさずに、こう答えた。
「これがあると落ち着くんだよ。講演中もポケットに入れておくだけで落ち着く」

 

 監督は、いつも落ち着いて見える。緊張で声が上ずったりするところも見たことがない。これだけのキャリアがあるから、緊張など無縁だと思っていた。この時点でおそらく、何千回と講演をこなしている。それでも、「緊張する」というのだ。

 

 この日以来、監督が講演前にメモを確認している姿を何度か見た。そういうときは、できるだけ離れて静かにするように心がけた。「講演は苦手や」は、本音だったのだ。

 

●「付け焼き刃はボロが出る」草柳大蔵氏の言葉を講演でも取材でも…

 

 そんな監督の初講演は、さんざんだったようで……。60分間ということで依頼を受けていたものの、準備していた話を終えるとまだ30分しか経ってない。仕方なく、「こんな私に質問があれば、お答えします」と言って、質疑応答を長めに取った。

 

 じつは初講演を前に、師と仰ぐ作家の草柳大蔵氏に相談したのという。「私なんかでも講演なんてできるんでしょうか。何を話せばいいのやら…」と悩む監督に対して草柳氏は、こうアドバイスをおくった。

 

「野村さんには、テスト生から這い上がって、監督まで務めたという素晴らしい経験がある。その経験を話せばいいのです。聞く人は、野球の話を自分に置き換えて聞いてくれます。

 

 ただし、野球以外のことは話しちゃいけません。誰が聞いているかわからない。付け焼刃の知識はボロが出ます」

 

 実際、監督の講演を聞いていると、自身の少年時代の話と沙知代夫人の話を除けば、すべて野球の話だった。1980年代初頭に聞いたアドバイスを、約40年も守り続けていたのだ。

 

 ちなみにその姿勢は講演にだけではなく、取材全般にも貫かれていた。監督のインタビューで、野球以外の話が公開されたことはほとんどないと思う。

 

 監督は講演の依頼が入ると、必ずふたつのことを確認していた。ひとつは講演のタイトル。主催者がどのようなことを話してほしいと思っているのか、タイトルにそれが表われるという。もうひとつは、客層である。どのような人を対象にした話をすべきなのかを意識していた。

 

 監督の人気は、特に地方では絶大だった。講演後に車に乗る際に、多くの人々が集まり、口々に「来てくれてありがとうございます」「いつまでもお元気で」などと声をかけてくれるのは感動的ですらあった。帰路に向かう車を追いかけてくる人がいたことも少なくない。

 

 そのような様子を見ていると、できるだけ地方での講演をしてもらいたいという気にもなるが、70代後半からは心身の負担も考慮し、新幹線や特急列車で行けない地域には足を運ばなくなった。さらに、2015年に長期入院してからは、首都圏以外でのお仕事は、基本的にお断わりするようになった。

 

 入院の日程が決まると、それ以降の仕事はキャンセルさせていただいたのだが、偶然にも入院前最後の講演は、監督の母校である峰山高校(京都)での講演だった。

 

 京都までは新幹線で行き、特急列車に乗り換える片道4時間以上の旅になったが、電車移動は苦にされず、講演も絶好調だった。監督は10代への講演は苦手なのだが、「母校の大先輩」の話を聴く在校生の姿勢がとても立派だったからかもしれない。監督も、孫よりも若い後輩たちの態度を、しきりに褒めて帰路についた。

 

 行きはもちろん、帰りの電車の中でも、監督はずっと喋っていた。もうすぐ入院する人にはとても見えなかった。私が監督と一緒に地方へ同行したのは、これが最後だった。

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