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一番やりがいがある場所で野球をやるためにタイガースへ移籍した木田優夫/日本人メジャーの軌跡

週刊ベースボールONLINE

1998年のオフ、オリックスからFAになった木田優夫がミシガン州デトロイトを本拠地とするタイガースと契約した。1986年のドラフトで巨人から1位指名を受けて入団。3年目に一軍へ昇格して先発、救援で活躍した。1998年にはオリックスでクローザーを務めていた。

メジャーでは3球団に在籍



メジャー1年目には49試合に登板した木田

 メジャーは夢に見た舞台。タイガースでは、あこがれのトム・シーバー(今年8月31日に75歳で死去)の背番号41を着けた。当時タイガースを指揮していたのはパリッシュ監督。ヤクルトと阪神でプレーした、日本野球を知る指揮官であった。

 しかもデトロイトは自動車産業が盛んで日本人も多く、暮らしやすい。「アメリカへ勉強しに来たわけではない。野球をしに来た。野球以外のことにはできるだけ神経を使いたくない」と考えていた木田にとって、望ましい環境だった。

 メジャーでは救援。デビューは1999年4月5日の開幕戦、敵地でのレンジャーズ戦だった。11対1と大量にリードした8回に2番手で登板して2/3回で2失点。ほろ苦い初登板となった。その後も1/3回2失点、2回2/3で5失点と苦しみ、3試合終了時点で防御率は24.55。しかし、それからの18試合は1失点以下に抑え、5月16日のインディアンス戦で初セーブ、6月14日のマリナーズ戦で初勝利を挙げた。ワキ腹を痛め7月に1カ月ほど戦列を離れ、1年目は49試合に登板し1勝0敗1セーブ、防御率6.26だった。好不調の波があった。

 翌年はガーナー新監督から評価を得られず開幕からマイナー。メジャーでは2試合に登板のみ6月には退団してオリックスに復帰した。ここでメジャー挑戦は終わりかと思っていた。しかし、2001年オフにオリックスを自由契約後、02年を痛みのあった腰の療養にあて、03年には再び渡米してドジャースと契約。3月に交通事故に遭ってつま先を骨折して再挑戦は出遅れ、3試合に登板したのみ。04年にはドジャースとマリナーズ、05年もマリナーズで登板した。メジャーでは3球団に在籍し、通算65試合登板(2試合先発)で1勝1敗1セーブ防御率5.83だった。

 再び日本に戻ってからは独立リーグでもプレー。「そのとき一番やりがいがあるところで野球がしたいだけ」と14年限りで引退するまで、この言葉を貫いた。引退後は日本ハムのGM補佐から投手コーチ。豊富な経験を後進に伝えている。(文中敬称略)

『週刊ベースボール』2020年11月2日号(10月21日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images

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