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打撃タイトルとは無縁も…ダイエー、巨人で「天才打者」と呼ばれた捕手は

週刊ベースボールONLINE

規格外のバッティング



巨人では思うような結果を残せなかったが、その打撃術は一目置かれていた

 清原和博、高橋由伸、前田智徳……打撃タイトルに縁はなかったが、常人離れした野球センスで活躍した選手たちがいる。その中で、この男も打撃センスでは決してヒケをとらなかった。「天才打者」と称された元ダイエー、巨人の吉永幸一郎だ。

 吉永は東海大工高(現・東海大静岡翔洋高)で強打の捕手として、同学年のエース・五十嵐英樹(元横浜)とバッテリーを組む。甲子園には届かなかったが、88年ドラフト5位で南海に入団。ダイエーとなった89年に米国1Aのサリナスに野球留学し、90年に一軍初昇格。高卒3年目にもかかわらず、一軍の一線級の投手たちにきっちり対応する。69試合出場で打率.311、7本塁打をマークし、8月以降は四番に抜擢された。その後も正捕手として活躍し、96年には打率.295、20本塁打で2度目のベストナインに選出された。ヒザを故障し、城島健司の台頭で一塁、指名打者で出場が増えた97年は自己最高の打率.300、29本塁打をマーク。9月3日に30号を放ったと思われたが、その後降雨ノーゲームに。残り24試合あったがその後は1本もアーチが打てなかった。


ダイエー時代の吉永。97年はOPSが.947を数えた

 吉永の打撃は規格外だった。ほかの選手から「絶対にマネできない」と驚嘆の声が上がったのが、「インロー打ち」。左打者の泣きどころと言われる内角低めの球を豪快にすくいあげて右翼席に飛ばす。97年には当時ホームランテラスがなく、フェンスが高い福岡ドームで1試合3本塁打を放っている。96年球宴でのパ・リーグの四番は西武の清原和博だったが、96年オフに巨人へFA移籍すると、97年の球宴1戦目で仰木彬監督がパ・リーグの四番に選んだのは小久保裕紀でもタフィ・ローズでもなく、吉永だった。

 2000年オフに大野倫との交換トレードで巨人へ。捕手として期待され、本人にも強烈な自負があった。入団会見では「巨人の捕手は無難なリードしかしない。パ・リーグ(の捕手)は、もっと投手のいい面を引き出すリードをしますよ。来季は僕が全試合、マスクをかぶります」と宣言。この年は黄金ルーキーの阿部慎之助がドラフト1位で入団したが、「阿部? 見たことないですから。でも、自分が普通の力を出せば、負けるはずはない」と静かに闘志を燃やしていた。

東京ドーム2階席に特大の一発


 移籍1年目の01年は25試合出場で打率.297、1本塁打。03年はヒザの故障が再発して3試合出場のみに終わり、来季の戦力構想から外れたことから現役引退を決断した。新天地で思うような結果は残せなかったが、東京ドームの2階席に特大の一発を放ち、難しい球もヒットコースに飛ばす打撃技術に、長嶋茂雄監督から「天才」と評され、強打者ぞろいのチームの中で選手たちから一目置かれていた。通算成績は1250試合出場、打率.278、153本塁打、505打点。1057安打を積み重ねた。立派な数字だが、記録以上に記憶に残る選手だった。

写真=BBM

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