ゲームディレクター須田剛一氏(中)伝説の「ファイプロ」を生んだ独自の死生観
ゲームディレクター須田剛一氏(中)伝説の「ファイプロ」を生んだ独自の死生観
音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフ […]

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

須田剛一の人生と彼が生み出す作品は、彼の人生を集約している。幼き日の母との想い出、ゲームやプロレス、音楽との出会い、長野から東京へ、様々な業種を経てゲーム業界へたどり着き、多くの人の助けのもと起業する。自身の目的と自分が持っている何かを作品として放出するために流転を重ね、今に至る。

それは須田剛一曰く、ゲームの神様とプロレスの神様に導かれたのだと…。起業から20年、インタビュー終盤に「死ぬまでこの仕事をしていたい」と言った須田の笑顔は喜びに溢れていた。

今回の「エンタメ異人伝」は、須田剛一を形成するもの、彼を動かすモチベーションに迫るものである。誰よりも多くの時間を自らの情熱の昇華に注ぎ続ける男の人生を垣間見てほしい・・・。

※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの第2回です。第1回(上)はこちら

インタビュー取材・文 / 黒川文雄

ゲーム業界との接点は『バーチャレーシング』

ーー そうでしたか。それにしても須田さんの生き方は創造と破壊そのものですね。

須田 アハハハハ。でも、やっぱりその時は緊張の糸がちょっと切れちゃいましたね。4年間、すごく気合いを入れて働いてましたから。朝9時から夜10時、11時まで働いて、土曜日も出勤してましたし。在庫とか台帳とか全部頭の中に詰まってたんで、夢の中でよく台帳整理してましたよ。それぐらい気を張ってやってましたね。で、そのあともいろんな仕事をして、ゲーム業界に入る直前は葬儀屋だったんですけど、その前にグラフィックデザインの仕事をしたんですよね。

ーー それが、セガのAM2研(注15)の仕事をしたっていうやつですか。

須田 そうです、そうです。あちこちでしゃべってますけども、鈴木裕さん(注16)が案内してくれて、『バーチャレーシング』(注17)を遊ばせてもらってっていう。そのときにゲームは博士たちが作っているんじゃない、普通の人たちが作っているってことを僕は知ったんです。

注15:数多くのヒット作を生み出したセガの開発分室である第2AM研究開発部の通称。
注16: 『アウトラン』、『スペースハリアー』、『バーチャファイター』など数々のヒット作を手がけ、セガを世界的企業に押し上げた大功労者。現在は株式会社YsNetの代表取締役を務める。
注17:F1をモチーフにした1992年発売のセガのレースゲーム。F1マシンを模した大型筐体が話題を呼んだ。

ーー そうおっしゃられていましたよね。それまでは、やっぱり特別に見ていたんですか? ゲームを作っているのは、ある種の特殊な人たちみたいな。

須田 そりゃそうですよ。大学の研究チームとかがラボみたいな厳重な場所で作っていて、プラグをこうやって、テープをグルグル巻いてみたいな。そんなイメージしかなかったです。

ゲームをパソコンで作っているとは

ーー それ、スーパーコンピューターの世界ですよね、当時の。

須田 でも、冗談抜きでそう思ってました。パソコンで作るなんて思ってなかったです。

ーー それで実際に見られて、俺でもできるんじゃないかと。

須田 あの……淡い期待をね。もちろん、皆さんそれなりの大学を出ている方たちだと思うんですよ? でも、服装も含めて自分と年代は一緒だし、普通に音楽聞いてるし、自分が聞いてるようなCDを買ってる人たちもいるし。こういうところで、こういう普通の人たちが作ってたんだっていう。それでもう目からウロコですよね。すごく憧れました、AM2研に。でも、その夢はすぐ消しました。絶対無理だと思った。

ーー 無理だと思っちゃったんですか。

須田 思いました。そんな夢を持っちゃいけないっていうか、自分には絶対無理だっていう。だって、なんのベースもないじゃないですか。だから、AM2研を見られてすごくうれしかったし、楽しかったですけど、それはあきらめるべきものだと思って。それで、そのあと葬儀屋になってという感じですかね。

ーー 葬儀屋さんはお給料が良かったからっていうのを読んだことがあるんですけど、ほかの仕事をしようとは思わなかったんですか? 僕は実家が寺なので葬儀屋さんともお付き合いがあるし、大変なお仕事だってよく分かるんです。それをあえて選んだっていうのは、けっこう大変な選択だったんじゃないかなと思うんですけど。

須田 う~ん、でも、もともと手に職が欲しかったっていうのがあるじゃないですか。葬儀屋さんって、やっぱ手に職なんですよね。葬儀会場を作るスキルもそうですし、あと司会進行する人たちって報酬がいいんですよ。で、その先輩たちがすごくカッコよかったんです。派遣なんで、いろんな葬儀屋さんのサポートをするんですけども、そこで司会進行されてる方の姿を見て、尊い仕事だなあと思ったんです。自分が思ってた手に職っていうのは、ひょっとしたらこのことかもしれないと思って、この世界で生きていこうと腹をくくったんですね。それで、いろんなところから社員スタッフにならないかって声かけてもらってたんで、じゃあどこかにお世話になろうかなって。

ゲームディレクター須田剛一氏(中)伝説の「ファイプロ」を生んだ独自の死生観は、【es】エンタメステーションへ。

(更新日:2018年3月11日)

Series シリーズ

Pick up ピックアップ

人気キーワード

Category カテゴリー

HOME