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「伝説のビール売り子」おのののかと結婚 28歳“モヒカン”塩浦慎理ってどんなスイマー?

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9月9日、タレントのおのののかと結婚したことを発表した塩浦慎理 (photograph by JMPA)

 奇抜な髪型とコーヒー。このふたつのキーワードに加え、身長も188cmと大柄で威圧感のある体躯からの想像に違わない、自由形短距離の選手。それが塩浦慎理(イトマン東進)という選手である。

 2020年9月9日。元“ビール売り子”でタレントのおのののかと結婚したことを発表。その一報を受けて、世間が彼の名前を聞いて思い浮かべるのは、先に述べた言葉通りだったのではないだろうか。そんな誰もが抱く印象の裏側に、塩浦の本質は隠されている。

左手の骨折――8年前、勝利の女神は振り向かなかった

 神奈川県出身の塩浦は、中学3年生のときに全国中学水泳選手権の50m、100m自由形で優勝。このときから自由形短距離期待のホープとして注目を集め、湘南工科大学附属高等学校に進む。1年目から、チームの要としてインターハイで活躍。2009年の3年時には50m、100m自由形で2冠。その直後に行われた全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季大会で、100m自由形で49秒85の日本高校新記録を樹立する(当時)。

 その後は中央大学に進学。中央大学は、自由形短距離の選手を多く輩出する名門だ。過去には、2001年に福岡で開催されたFINA世界選手権の50m自由形で、日本人初となる短距離種目での銅メダルを獲得した山野井智広氏も在籍していた。

 大学2年生となった2011年に、ユニバーシアード(中国・深圳)の日本代表に選出。初の日本代表という重責のなか、塩浦は100m自由形で銅メダル、4×100mリレーでは金メダルを獲得。翌年に迫ったロンドン五輪の代表候補に名を連ねる。

 だが、塩浦に勝利の女神は振り向かなかった。ロンドン五輪代表選考会を兼ねた2012年日本選手権が行われる直前、左手の指を練習中に骨折。その影響から、塩浦本来のダイナミックな泳ぎは影を潜め、50m、100m自由形ともに3位となり、五輪出場は叶わなかった。

「五輪に出られなくても……」誠実な男

 確かにこのあと、彼はしばらくトレーニングに身が入らない時間を過ごすのだが、そういったなかでも塩浦慎理という人間の誠実さと真面目さがうかがえる出来事があった。

 2012年と言えば、まだ東日本大震災の爪痕が残っている時期。水泳界でも、被災者はもちろん、被災した多くのスイマーを助けるべく、日本各地でチャリティー大会が開催されていた。

 そのひとつが前年、神奈川県で第1回が開かれた「チャリティースイム・イン・さがみはら」だ。この大会は、日本選手権の翌週の日曜日に行われている。2012年も同じように、日本選手権が終了した翌週、4月15日に相模原グリーンプールで開催された。

 その会場に、塩浦の姿があった。ケガの影響があったとはいえ、目指していた五輪の出場権を逃し、気持ちもまだ落ち着かない時期に、彼はこの大会に中央大学の仲間たちと一緒に出場していたのである。

 当時、私がインタビューした記録がある。塩浦はこう話していた。

「自分としてはまだ悔しい思いはありますし、まだ次に向けて頑張ろうなんて簡単には言えないんですけど。でも、五輪に出られなくても、僕にできることがあるのはうれしいな、と思って。僕の泳ぎを見て、頑張ろうと思ってくれるとか、僕がこういうところで泳ぐことが誰かの力になる、というのであれば、喜んで泳ぎたいな、と思って参加しました」

 家でひとり、ふさぎ込むよりも、仲間とともに楽しく好きな水泳をやっているほうが、もしかしたら気が紛れたのかも知れない。それほど崇高な理念を持って行動していたのではないかもしれない。しかし、弱冠20歳の若者が、疲れていようが、痛みがあろうが、悔しい思いがあろうが、誰かの力になるなら泳ぐ、という。その言葉を発することができる彼に感銘を受けたのを覚えている。

2度の入院生活

 今や自由形の第一人者となった塩浦だが、一時期はトンネルのなかにいた。同じ自由形短距離のライバル、中村克(イトマン東進)にどうしても勝てない日々が続いたのである。50mには絶対の自信を持っていたが、日本記録すら中村に奪われてしまう。

 そんななか、塩浦の転機となったのは2度の入院生活だった。2018年のアジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)終了後、扁桃周囲膿瘍で入院。退院するも再発し、咽頭浮腫も併発して再度入院。2カ月以上もの間、泳ぐことすら叶わなかった。

 当時、新天地をヨーロッパ各国に求めた塩浦は、多くの海外トップスプリンターたちとともに生活したり練習していくなかで、パワーを追い求めていった。筋力アップに、体重のアップ。気づけば、高校時代から比べて10kg近く増えていた。

 それが、2度の入院生活で一気に減少。高校時代に近い体重まで落ちてしまったのである。『パワーがなければ短距離は世界と戦えない』。そう思っていた塩浦は、2020年に差し迫る五輪に不安を抱えていた。

突き詰めていく“マニアの世界”

 だが、ふたを開けてみると、身体が軽い。スムーズに腕も回り、ボディポジションも高く、抵抗の少ない姿勢で泳ぐことができた。

「水の中で身体が動かしやすくなりましたね。水に乗る感覚というか、スムーズに自分の力を水に伝えられて、それが推進力になっている感じです」

 もともと水の感覚が鋭く、それを一つひとつ分析し、細かく修正を加えていくことで完成されていた塩浦の泳ぎが、パワーに傾倒することによって微妙なズレが起こり、それを力で修正するような泳ぎになっていた。

 体重が10kg近く減り、パワーという呪縛から、不可抗力ながら解かれたことで、塩浦本来の、その大きな体躯からは想像もできない、繊細な感覚を重視する泳ぎを取り戻したのである。

 短距離選手は、非常に感覚が鋭く、細かい。それを突き詰めて考えていく作業は、まさにマニアの世界。そういう素養があったのだろう。

なぜ“モヒカン”を続けているのか

 塩浦の“マニア心”を感じさせるのがコーヒーだ。水泳界でも有名なコーヒー好き。遠征で行く先々にドリッパー、ポット、ミル、そしてコーヒー豆を持っていき、自分で淹れるのが日課だ。自分をリラックスさせてくれるものに出会った瞬間、彼のマニア心がくすぐられたに違いない。淹れ方は当然、豆の産地による香りや味の違いも把握しているほどだという。

 また、塩浦の特徴でもある“モヒカン”。これも続けている理由が、塩浦らしさに溢れている。

「最初は、顔を覚えてもらうためにやっていたんですよ。奇抜な髪型だったら目立つかなって。でも、もういいかなと思って、友達とかに『やめようと思うんだけど』と言ったら、いろんな人から逆に反対されちゃって。結局、やめ時を見失って、今にいたります」

 我が強ければ、他人に何を言われようと貫けるのだろうが、友達の意見を素直に聞いてしまうのも、何とも性根が優しい塩浦らしいではないか。

 面倒見が良く、後輩からの信頼も厚い。頼れる“兄貴分”は、自由形短距離で世界を獲るべく今も自分の泳ぎと感覚を分析しながらトレーニングを続ける。

「リオデジャネイロ五輪前よりも、今年の冬場のほうが追い込めていた感覚があります。だったら、また来年に向けてもう一段階上に行くために、もっと追い込むことができるはず。まずは10月の日本選手権(25m)で勝負できる身体を作りたいですね」

 生涯の伴侶を得て、心の安らぎを得た塩浦に、向かうところ敵なし。世界のスプリンターたちと肩を並べてメダル争いを繰り広げる。そんな姿を塩浦には期待したい。

text by 田坂友暁
「オリンピックPRESS」

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