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甦ったケンブリッジ飛鳥の進化は止まらない。高橋大輔の元トレーナーが支えるオリンピックへ続く道。

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セイコーゴールデングランプリで安定した走りを披露したケンブリッジ飛鳥は直後に自己ベストを更新し、復調を見せつけた。進化はまだ止まらない。 (photograph by Asami Enomoto)

 ケンブリッジ飛鳥が、甦った。

 今季初戦となった7月24日の東京選手権で大会新記録となる10秒22で始動。続いて、8月23日のセイコーゴールデングランプリでは、国内の一線級が顔をそろえる中、桐生祥秀に次いで10秒16で2着。

 そして8月29日に福井で行われた「ナイトゲームズ・イン福井」では自己ベストとなる10秒03をたたき出しただけでなく、桐生に先着して1位でフィニッシュした。

 完全復活というよりも、これからの伸びが期待できる走りである。

ケンブリッジの安定感を生んだ人。

 2017年のロンドン世界陸上で忘れられないことがある。

 ケンブリッジは男子400mリレーの予選ではアンカーを務めていたが、内容に不安を残した走りだったため、決勝ではベテランの藤光謙司にその座を譲った。日本は銅メダルを獲得したが、ケンブリッジの存在感が薄らいだのは否定できなかった。が、来年に延期されたオリンピックを控え、これまでとは違った安定感、落ち着いた雰囲気を醸し出すようになった。

 その背景にはなにがあったのか。

 ケンブリッジは環境を変えていた。2019年の暮れから渡部文緒トレーナーと協同作業を進め、フィジカルの見直しを行っていた。

 渡部氏は、これまでメダリストと仕事をしてきた経験を持つ。フィギュアスケートの高橋大輔だ。

 ケンブリッジとの作業はどうやって始まったのか、渡部氏に話を聞いた。

高橋大輔とトップの大変さを知った。

「最初に会ったのは、2019年の8月でした。9月から10月にかけてドーハで行われる世界陸上を控えて、体のチェックをさせてもらいました。柔軟性や左右のバランスを確認するんですが、身体的には改善できる部分があるとは感じました」

 ケンブリッジから正式な依頼があり、トレーニングのプログラムを考えるようになったのはオフシーズンの11月からだった。

「一緒に仕事をさせてもらうことになりましたが、実際に依頼をされた場合、受けるかどうかは迷っていました。日本では、トレーナーといえばどうしても“治療”するイメージが強いと思いますが、私の場合はケガを予防し、フィジカルの部分を高めるのが仕事になります。

 私は高橋(大輔)選手を担当して、世界のステージで戦う大変さを身近で見てきました。トップアスリートの場合、トレーニングの教科書はありませんから、選手の変化に合ったトレーニングを考えていく必要があります。私はこれまで、ラグビー、バスケットボール、剣道、野球、サッカーなど、様々な競技の選手を見てきましたが、自分が出来る範囲で、陸上という私にとって新しい競技の選手に成果をもたらせるだろうか? という葛藤がありました。

 ただ、最後に背中を押したのは、自国開催のオリンピックが目の前に迫っていて、それを目指す選手と一緒に仕事が出来るということが大きかったですね」

ケンブリッジの身体が変化した。

 ふたりの取り組みがスタートし、渡部氏が課題として取り上げたのは身体の左右のバランスの改善と、上半身と下半身の連動性だった。

「ケンブリッジ選手の場合、両足の動きだと安定しているけれど、片足を少しずらす前後開脚や、片足を上げる動作をやると、左右で極端に違いました。出力の方法、バランスの取り方に違いがあったんです。それに上下の連動性についていえば、陸上短距離の場合は地面から生じる力を前方への推進力に変えていきます。ケンブリッジ選手は下からの力を体幹、上半身に伝える力が不足していたので、その連動性を意識したメニューを作りました」

 それまでのトレーニングとは違った角度からのアプローチだったため、トレーニングを開始してから最初の1カ月、2カ月で身体がどんどん変化していった。

「本人も手ごたえを感じていたのだと思います。そのうち、ウェイトトレーニングのメニューもガラッと変えました」

ケンブリッジと高橋の繊細さ。

 カレンダーが2020年になって、オリンピックイヤーを迎えた。1月下旬からケンブリッジは沖縄で合宿を行ったが、そこに予想外のことが起きる。新型コロナウイルス禍だ。感染が拡大していき、本拠地の東京に帰ることもままならず、結局は3月下旬まで沖縄でトレーニングを続けることになった。オリンピックは延期になり、社会は変容を迫られたが、陣営にとってはプラス面もあった。

「一切、余計なことが出来なくなりましたので、トレーニングに集中する環境になっていましたね。ケンブリッジ選手とのコミュニケーションの機会も増えたので、私にとって参考となる有益な情報が入ってきて、やりやすくなりました」

 時間が経つにつれ、ケンブリッジの性格、身体感覚について用いる言葉を理解できるチャンスも増えていった。

「メディアの前では強気な発言が多いとは思いますが、トレーニングを始めてみると、とても柔軟な発想の持ち主でした。トレーニングや身体作りの面では、とても繊細です。そのあたりは、高橋選手と似ていますね。身体感覚について、ふたりともいい言葉というか、適切な言葉で返してくれるんです」

見せた大きな進化の陰に。

 東京オリンピックが2021年に延期され、今年の陸上シーズンの開幕も夏場にずれ込んだ。しかしここまでの3戦で、ケンブリッジは大きな進化を見せた。ひとつはスタートの部分だ。この部分には集中的に取り組んできたと渡部氏は語る。

「ケンブリッジ選手の場合、どちらかといえば後半型と言われてきました。他の日本人選手と比べると少し重心が高く、骨などのパーツも長いので、前半の出力、スピードの出し方に課題があったんです。今年はその克服に取り組んできて、実際に効果が上がっているという手ごたえがありました」

 左右のバランスを整え、スターティングブロックを蹴り出すことで得られるパワーを前方への力へと変換させる。スムースなスタートは、滑らかな中間疾走を生み出す。ただ、言うのは簡単だが、繊細な技術である。

桐生の隣のレーンで走るということ。

「スタートは難しいですね。一歩目のパワーが少し外に逃げると、バランスを崩してしまい、前へ進む力が弱くなってしまいます。ゴールデングランプリの時は、正直、もったいなかったです。スタートして顔が持ち上がるのがちょっと早く、全体の印象として力んでいるな、という感じがありましたから」

 力んだ要因として考えられるのは、桐生の隣のレーンで走ったことだ。実は、このレースではふたりとも力んでしまった印象があり、決勝でのタイムは予選よりも悪かった。

「並走した時に自分の走りが出来るかどうかは、トップアスリートでも抱える課題ですね。真っ直ぐのレーンを走って、誰にも邪魔されるわけではないのに、力むと動きがおかしくなる。ただし、そうしたレースを経験することが課題を解決するきっかけになります」

10秒03で見せた彼の本当の走り。

 1週間後に行われたナイトゲームズ・イン福井では、その課題が見事に克服されていた。前半から滑らかに加速したケンブリッジは、後半も失速幅を抑え、10秒03の自己ベスト、日本歴代7位タイのタイムで1着に入った。ケンブリッジはレース後、これまでの取り組みを次のように振り返った。

「2017年とか、今までは力任せな部分や丁寧さに欠ける部分があったと思うんですが、今シーズンはレース全体の流れを通して、前半からすごく丁寧に入っていけているのかなと思います」

 渡部氏が挙げた課題を、ケンブリッジ自身が確実に解決していることがうかがえる。

 進化途上のケンブリッジを見ると、10月に行われる日本選手権が楽しみになってくる。渡部氏は10月に照準を合わせつつも、来年以降へと視線を定める。

「前半の取り組みに対してのトレーニングはある程度成果が出てきたので、その力を後半につなげるのは、まだこれからというところです。今年最大のターゲットは日本選手権ですが、ある程度の走りが出来たとしても、今のまま代表に選ばれても海外の選手たちと渡り合えるかというと、あともう一つ、二つ伸びないと、まだ厳しい部分もあります。ただし、ケンブリッジ選手本人も『自信をもって9秒台が見えてきたと言えるようになってきましたし、コンスタントに出していけば自ずと狙っていけるのかなと思います』と話しているので、そのお手伝いが出来ればと思います」

違ったトライができることが楽しみ。

 渡部氏にとっても、陸上のトップアスリートとの協同作業はチャレンジの連続だ。

「僕らの業務というものは、人間を扱っていますので、型にはめてしまうと成果が出なかったりします。選手のキャラクターに合わせた知恵が必要になりますが、それは誰かが教えてくれるものではなく、その時、その時で判断してプログラムしたり、選手とコミュニケーションを取りながら変えていかなければなりません。

 ケンブリッジ選手の場合、オリンピックが延期されたことで、冬場のオフ期のトレーニングの機会が一周期増えました。また違ったトライが出来るのは、僕としては楽しみですね」

 人との出会いが選手のパフォーマンスを変えることがある。

 ケンブリッジ飛鳥は、渡部文緒氏というパートナーを得て、これからどう変化していくのだろうか、楽しみでならない。

text by 生島淳
「スポーツ・インテリジェンス原論」

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