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【プロ野球仰天伝説15】打者は打てないが捕手も捕れなかった杉下茂の魔球フォーク

週刊ベースボールONLINE

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

唯一、フォークを多投した試合は……



魔球フォークを操った杉下

 フォークボールの神様と言われた中日・杉下茂。明大時代、恩師・天知俊一から指ではさむということだけ教わり、あとは我流で磨いた。本格的に使ったのはプロ1年目からだが、“フォーク”という名前も一般的ではなく、杉下はカーブとごまかしていた。

 バレたのは2年目。ただ、杉下はほとんどフォークを投げず、「僕のフォークを打ったという人がいるけど、みんな違う球」と笑う。例外は巨人の川上哲治。いわば“神様用のボール”だったのだ。3球すべて投げて、かすりもせず三振を奪った際には川上が「キャッチャーが捕れん球を打てるわけない」とポツリ。捕手はこの3球すべてを体で止めていた。

 変化については「中腰になった捕手の額あたりを狙うとショートバウンドになった」という。時々、他球団の捕手が受けさせてくれと言って投げてやることがあったが、誰も捕れない。毎日の捕手・醍醐猛夫はその球を受け損なった際のアゴの傷が今も残っているという。

 唯一、フォークを多投したのが1954年、日本一を決めた日本シリーズ第7戦。疲労から握力がなくなり、カーブが曲がらなくなったので、スピードを緩くしたフォークをカーブ代わりに使ったのだ。

杉下茂(すぎした・しげる)
1925年9月17日生まれ。東京都出身。帝京商からいすゞに進むも応召。戦後、明大専門部から49年中日に入団し、51、54年と最多勝。54年には最優秀防御率、MVPにも輝き、優勝、日本一に貢献している。59年から2年間監督兼任。61年に大毎に移籍し。同年限りで現役引退。85年には野球殿堂入り。主なタイトルはMVP1回、最優秀防御率1回、最多勝利2回、沢村賞3回。通算成績525試合、215勝123敗、防御率2.23。

写真=BBM

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