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【プロ野球仰天伝説03】西鉄の誇る“神様”稲尾和久の進化するスライダー

週刊ベースボールONLINE

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

曲がりは小さく、変化は鋭く



スライダーを完全にマスターすると、数種類投げ分けができるようになった

 大沢昌芳(啓二。南海ほか)に「お前のスライダーはキラッと光って、その後、消える」と言われた西鉄の稲尾和久。入団当初は変化球が投げられず、ストレートが右打者の場合、外角に投げるとナチュラルのスライダーに、内角ならナチュラルにシュートになっただけだ。それでも1年目から21勝、1.06で最優秀防御率&新人王、2年目は35勝、1.37で最多勝&最優秀防御率だからただモノじゃない。

 3年目からスライダーを意識して投げ始め、空振りが取れるようになった。そして完成したのがプロ6年目、42勝を挙げた年だ。ボール2個分、曲がるスライダーを習得。数種類の投げ分けができるようになった。

 ただ、基本は「曲がりは小さく、変化は鋭い」というもの。握りは、ボールの右側に指を置き、指を滑らすように球を切り、最後は人さし指でさらにスピンをかけるイメージだった。コツは「中指を浮かせるくらいの感覚。これで変化が鋭くなる」(稲尾)。

 なお、この1961年は、「マウンドにいると、頭上にもう一人の私がいて、迷いが生じたときに適切なアドバイスをしてくれるという不思議な体験をした。さらに打者のちょっとした動きから心理が読み取れるようになった」と振り返る。いわゆる“ゾーン状態”にあったようだ。

 ただ、このスライダーを見せつつ内角へのシュートで詰まらせるのも、もう一つの必殺パターン。記者にもいつもスライダーの話ばかりして、気付かれないようにしたが、南海・野村克也だけには見抜かれた。

●稲尾和久(いなお・かずひさ)
1937年6月10日生まれ。大分県出身。別府緑ケ丘高から56年に西鉄へ入団。21勝、防御率1.06で最優秀防御率に輝く活躍で新人王に。58年に史上初の2年連続MVP。西鉄黄金時代をけん引し、61年にシーズン最多タイ記録の42勝を挙げた。69年限りで現役引退、翌70年から74年まで西鉄・太平洋の監督、84年から86年まではロッテの監督も。93年野球殿堂入り。2007年11月13日死去。主なタイトルはMVP2回、新人王、最多勝利4回、最優秀防御率5回、最多奪三振3回。通算成績756試合、276勝137敗、防御率1.98。

写真=BBM

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