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10年前の日本ハム/投手力を軸にした守り勝つ野球で球団史上初のパ・リーグ連覇達成!

週刊ベースボールONLINE

10年ひと昔と言うが、それだけ年月を重ねればプロ野球のチームも様変わりしてしまう。ここでは年末特別企画として、10年前、2007年のペナントレースを12球団ごとに振り返っていこう。

【2007年度チーム成績】
ヒルマン監督
パ・リーグ1位
144試合 79勝 60敗 5分 勝率.568

【BASIC ORDER】
投手 ダルビッシュ有(先発)
投手 武田久(中継ぎ)
投手 MICHEAL(抑え)
捕手 高橋信二
一塁 稲田直人
二塁 田中賢介
三塁 小谷野栄一
遊撃 金子誠
左翼 工藤隆人
中堅 森本稀哲
右翼 稲葉篤紀
DH セギノール

スモールボールの強化、徹底



球団史上初の2年連続優勝。ナインの手によってヒルマン監督の体が宙を舞った

 開幕前の下馬評を覆し、したたかに混戦のパ・リーグを抜け出した。日本ハムが1年を通して一貫した戦略で球団史上初の連覇を鮮やかに決めた。基本コンセプトは投手を中心にした守りの野球。得点能力は低いが、つながり重視の打線で、効率良く白星を量産していった。

 リーグ最少本塁打&得点での優勝も初の快挙。同様の戦力構成に苦しんでいる他球団のモデルケース、日本球界へ一石を投じそうな会心のV2だった。

 新チーム始動時から狙いは明確だった。昨年は日本一、リーグ制覇。その反動を一番受けたのは攻撃力だった。不動の三番打者、本塁打と打点のリーグ2冠王の小笠原道大が巨人へFA移籍。勝負強いクラッチヒッターのSHINJOも現役を引退した。

 その2人の穴を埋めるための方策がスモールボールの強化、徹底だった。春季キャンプから実戦形式の練習が中心。しかもバント、盗塁を含めた走塁、エンドランの精度を上げることにチーム全体で取り組んだ。

 5点以内の勝負――。高望みができる陣容でないからこそ、全体が意思統一された。小笠原に代わり、三番には稲葉篤紀が固定され初の首位打者を獲得。06年からの一、二番コンビの森本稀哲、田中賢介に主砲・セギノール。上位を固め、五番以降には小技が利く選手たちを好調、不調のバロメーターを判断しながら、タイムリーに起用した。

 リーグ最多、断トツの151犠打、同2位の112盗塁を記録。選手のネームバリューに固執しなかったことが、小谷野栄一、工藤隆人ら若手の台頭を生んだ。「06年からチームは変わったが、選手は07年の戦いをしようとした」。ヒルマン監督の狙いにこたえられる選手がいたことも、快進撃を後押しした。

三位一体となって頂点へ



プロ3年目にして初の沢村賞に輝いたダルビッシュ

 そのチームプランの根底にあったのが、盤石の強力投手陣だ。先発の大黒柱、ダルビッシュ有がエースとして1年間、フル稼働。両リーグトップの12完投で自己最多の15勝を挙げ、防御率1.82と驚異の数字をマーク、沢村賞にも輝いた。

 さらに獲得したグリンが計算どおりの9勝と、ここ数年期待にこたえていなかった助っ人が機能した。06年新人王の八木智哉、前エースの金村曉の不振はあったが、中継ぎから配置転換した武田勝も9勝。ほかは高卒ルーキー・吉川光夫、2年目の木下達生らニューフェースの登場という幸運も重なり、穴が埋まった。

 2年連続で勝利の方程式としてセットアッパー・武田久、守護神のMICHEALが機能。先発から転向させた江尻慎太郎もシーズン終盤に故障で離脱はしたが、武田久の不調時にはセットアッパーを務めるなど、好循環もあった。

 リーグ2位のチーム防御率3.22。その数字以上に先行逃げ切りの勝ちパターンは他球団にとって脅威になった。リーグ最少の65失策、リーグ最多の134併殺と、鉄壁の守備陣の活躍も光った。田中賢と金子誠の二遊間、中堅の森本と安定したセンターラインが軸になり、高いディフェンス力を維持させた。

 2年連続の日本一こそ逃したが、愚直なまでに貫いたゲームプランで安定した戦いを繰り広げた。

「チームは苦労をしてきたが、意識の高い選手がそろっていたのが優勝の最大の要因。キャンプイン前日に今までと同じ戦い方では勝てないと話した。みんなが絶対に勝つんだと強い気持ちを持ち続けた結果だと思います」

 ヒルマン監督は、そう噛み締めるように話して日本での5年間の挑戦を終えた。的確な補強を行ったフロントの存在も見逃せない。加えてチームを束ねた指揮官、その期待にこたえた選手――。三位一体となって球団史上初の偉業を成し遂げた。

写真=BBM

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