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【プロ野球仰天伝説02】打席に入ると絶対に外さなかった“打撃の神様”川上哲治

週刊ベースボールONLINE

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

ヘソの前までボールを引き付ける



打席で究極の境地まで達した川上

 打撃の神様と言われた巨人・川上哲治は、1度打席に入ると、絶対に外さなかったことでも知られる。国鉄時代に対戦した金田正一は「あれでイライラするときがあった」と振り返っている。

 ほとんど微動だにせず、クセの貧乏ゆすりも不思議と止まっていた。そして自分の狙い球以外には、まったく反応もしない。まるで、釣り糸をたらし、そこに魚がかかるのをじっと待つ、釣り人のようなものだ。こじつけのようだが、川上の趣味が釣りだったのも、なんとなくうなずける。

 それに触れた言葉があった。

「球を打つとき迎えにいくと、上体が突っ込み、泳ぐような形になる。単純な速球ならこれでも打てるが、この速球がちょっと変化して沈んだり、シュートしたり、スライドしたりするともうお手上げだ。この球を十分に手元に引き付けて、ヘソの前にある一点で打てば、速球も変化球もみんな同じ球になり、スイングひとつでどこへでも飛んでいく。それはバットを振ったときに体重が乗って一番力が入るところで、私等はそれを“ポイント”と言っていた」

 意識の問題もあるのだろうが、ヘソの前と言うと、かなり引き付けることになる。自身、「これだけ引き付けると腰が使えないので内角高めの速球は詰まったが、カーブはかなりの確率でホームランか、一、二塁間への強烈な打球を打ち返せた」と話している。

 また、ポイントについて、「酒をじょうごで小さな瓶に移すときのよう」と説明する。

「大きな瓶からじょうごに移された酒は、受け皿いっぱいに広がり、出口にやってくる。出口はストライクゾーンである。ここで待ち構えて、入ってくる球を片っ端から打っていけばいいんだ」

“球が止まって見える”心境


 のち川上監督時代に打撃コーチをしていた荒川博は「川上さんはレベルスイングだから、あれだけ引き付けることができた。ダウンスイングでは無理」と話している。ダウンスイングが監督時代の川上の持論だが、自身が違っていたのだから、これもまた、感覚の問題と言っていいのかもしれない。

 川上は1950年の9月、打撃練習中に“球が止まって見える”心境に達した。自分が打とうとしているポイントで球が止まるように見え、少し間を置いて打つというタイミングもつかんだ。

「いまの表現で言えば、ゾーンの中に入り込んでいる、と言えばいいのだろう。仏教で“同行二人”という言葉があるが、欲得のある生身の人間と欲得を超えた人間、そのもう一人の川上哲治が、球が止まった感覚をつかんだ。そのうち投げている人がもう勘弁してくださいと言う。はっと気が付いたら、とっくに1時間を過ぎていた」

 この感覚は一時的なものではなく、以後も忘れることがなかったという。翌年、打率.377で戦後初の首位打者、以後53年、55年と1年おきに3度の首位打者を獲得。ただ、肉体の衰えには勝てず、「それまでは抜けた当たりが捕られたり、ホームランの手応えなのにフェンス前で失速したり。これでは巨人の四番の給料はもらえない」と58年限りで引退を決めた。
 
●川上哲治(かわかみ・てつはる)
1920年3月23日生まれ。熊本県出身。熊本工から38年に巨人入団。秋のシーズンを前に一塁手に転向し、39年、41年と首位打者。42年限りで応召、戦後は46年シーズン途中に復帰、“赤バット”で人気を博した。58年限りで現役引退。61年に監督就任、優勝、日本一ともに11回、野球殿堂入りを果たした65年から巨人をV9に導いた。主なタイトルはMVP3回、首位打者5回、本塁打王2回、打点王3回。通算成績1979試合、2351安打、181本塁打、1319打点、220盗塁、打率.313。

写真=BBM

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