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【人的補償物語04】43歳の大投手、工藤公康が人的補償で巨人を去る

週刊ベースボールONLINE

大物選手がFA権を行使して移籍してくる代償として、その大物選手の旧所属球団が自分を指名する――。それは、チームが28人のプロテクトリストから自分を外したから。しかし、それで出場機会が飛躍的に増えるケースもある。人的補償で移籍した印象深い選手を取り上げていく。

アメリカで受けた移籍の報



巨人から人的補償で横浜に移籍した工藤

 言ってみれば青天の霹靂だった。

 そのとき、巨人にFA移籍して7年目のシーズンを終えたばかりの工藤公康は、日本から遠く離れた米国アリゾナ州で、数名の若手選手とともに自主トレに励んでいた。その工藤の下に届いた知らせ。それは「横浜に行ってほしい」というものだった。

 2006年オフ、巨人は横浜からFA宣言した門倉健を獲得。これに伴う人的補償として白羽の矢を立てられたのが、その時点で通算215勝を挙げていた工藤だったのだ。

 当時、巨人サイドはまさか43歳の大ベテランが指名されることはないだろうとタカをくくっていたともいわれ、清武英利球団代表は「このような投手を移籍させることは苦渋の選択としか言いようがない」と語ったが、当の工藤は「自分がフロントだったら、43歳の選手はプロテクトしない」と理解を示した。

 米国から帰国後に行われた横浜入団会見で、新天地で何と呼ばれたいかと問われた工藤は、茶目っ気たっぷりにこう答えている。

「ハマのおじさんでいいです」

 真新しい横浜のユニフォームで迎えたプロ26年目のシーズン。開幕から4連敗と苦しみながらも、5月23日の古巣・西武との交流戦(グッドウィル)で23年連続勝利をマークすると、そこから7勝と盛り返した。

 翌08年はヒジ痛を発症して0勝に終わったものの、09年にはシーズン途中から救援に転向し、46歳にして年齢と同じ46試合に登板。5月25日の楽天戦(横浜)では1点を追う9回のマウンドに上がって相手を3者凡退に抑えると、チームのサヨナラ勝ちで607日ぶりとなる223個目の白星も手にした。

 工藤はこの年限りで横浜を戦力外となり、「ハマのおじさん」は3シーズンで看板を下ろすことになったが、翌根は西武に移籍。47歳で10試合に投げた。

 2度のFA移籍、人的補償、そして戦力外……。さまざまな形でのべ5球団を渡り歩いた工藤は、西武退団後も現役続行の道を模索し、11年オフに新生・DeNAから監督就任を要請された際にはプレーイングマネジャーを希望したとも伝えられたが、これが破談に終わると、その後、現役引退を表明。15年にはソフトバンクの監督に就任し、指導者として新たな道を進んでいる。

写真=BBM

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