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目標は20年連続20勝? 寺原隼人、ダイエーと仮契約【2001年11月30日】

週刊ベースボールONLINE


終始にこやかな表情を浮かべていた寺原

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月30 日だ

 いつに間にかプロ16年の大ベテランとなっていたソフトバンクの寺原隼人。2001年夏の甲子園で、当時の最速154キロをマークした日南学園高の右腕でドラフト会議前はメジャー・リーグも含め、日米10球団の争奪戦と言われた。

 本人は巨人ファンとも言われたが、ドラフトでは中日、横浜、ダイエー、巨人と4球団が1位指名で競合の末、ダイエーが交渉権を得た。地元九州の球団だったが、当日の寺原の顔色はさえず、「入団の可能性は?」と聞かれ、「半分、半分です」と答えている。

 その暗い表情から当初は交渉の苦戦が予想されたが、会議翌日に王貞治監督が直接訪れて指名あいさつ。その誠意に打たれたのか、その日のうちにダイエーの帽子をかぶり、王監督に球団のジャンパーを着せてもらうなど、一気に軟化した。

 11月30日は、宮崎市内のホテルでの寺原の仮契約会見があった日だ。注目の背番号は20に決定。これは20勝投手になってほしいと願いに加え、「20勝に加え、20年やってもらいたいという意味がある」と瀬戸山球団代表。さらに、おそらくは記者の誘導質問で“言わされた”のだと思うが、当時の誌面には「20年連続20勝などビッグな目標を掲げた」とある。「20×20」で400勝投手か。

 前者については現在07年横浜時代の12勝が最多で、現状の年齢と起用法を考えてもかなり高いハードルになっているが、後者の20年は十分視野に入ってきた。

写真=BBM

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