執筆:Avanti Press
古い映画を観る楽しみのひとつに、今はもう失われてしまった風景を見ることが挙げられます。製作当時にはありふれていたのだろう日常の光景が、年月を経て、私たちの目にとても新鮮に映ります。日本映画史上に燦然と輝く名作のなかに残された、半世紀以上前の日本の風景を振り返ってみましょう。
小津安二郎監督『東京物語』~消えた「おばけ煙突」
2009年キネマ旬報発行『オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇』第1位、2012年英国映画協会発行『Sight & Sound』誌では世界の映画監督が選んだオールタイム・ベストで堂々1位と、国内外で今なお絶大な支持を誇る小津安二郎監督の『東京物語』(1953)
幸一の病院(兼自宅)は、足立区の東武伊勢崎線・堀切駅付近にあることがわかります。京成線荒川橋梁が見える河原に「平山医院 スグ此ノ土手ノ下」と書かれた看板があるように、家のすぐ裏は荒川。この土手でとみと孫が戯れていました。周吉は「東京の端のほう」とか「場末の町医者」などと言っていますが、当時、このあたりは新しい家族が移り住む新興住宅地だったそうです。

京成線荒川橋梁がかかる荒川河川敷(op2015/PIXTA)
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幸一の病院によく志げが来ているところを見ると、彼女の営む「うらら美容室」も近距離、おそらく荒川と隅田川に挟まれた千住のどこかにあるようです。美容院のすぐ横を都電が走っており、近くには「お化け煙突」と呼ばれる有名な煙突が見えます。これは、今はなき千住火力発電所の煙突で、見る方角によって4本にも1本にも見えるためにそう呼ばれていたのだとか。五所平之助監督の『煙突の見える場所』(1953)はこの「お化け煙突」をモチーフにした作品です。

いまはなき東京電力千住火力発電所の「お化け煙突」。帝京科学大学千住キャンパス内にモニュメント有(IKUO/PIXTA)
そのほかにも、はとバスの車窓から見える皇居前から銀座、松屋デパート(中央区銀座3-6-1)の屋上から見た国会議事堂方面の風景、上野寛永寺の旧本坊表門(台東区上野公園14)など、当時の東京の様子をうかがうことができます。

上野寛永寺旧本坊表門(撮影:Avanti Press)
もちろん、故郷・尾道の海と山に囲まれた風情ある町並みや、周吉と紀子が並んでたたずむショットで有名な浄土寺(尾道市東久保町20-28)、老夫婦が出かける熱海の海岸線など、見どころがたくさんあります。