top_line

【 最新ニュースをアプリでサクサク読むなら! 】

萩本欽一 コント55号、今いたら「バカウケする」

女性自身

「作っていることを知らされずにできちゃった映画だから、見たくないんですよ。お客さんにもなるべく見ないでほしいね」

11月3日公開の、自身初にして最後のドキュメンタリー映画『We Love Television?』についてそう語るのは萩本欽一(76)。そんな欽ちゃんが、芸能生活や家族について語ってくれた。

「コント55号は、跳んで、暴れて、体力勝負で有名になったの。テレビ中継の入る寄席でも、“テレビに映らなくてもいいや!”と舞台中を駆け回って、『カメラに納まらない』って、テレビの人たちによく怒られた。でも、次第にたくさん人に認めてもらえるようになったでしょ。だから、テレビが最初に僕に教えてくれたのは、“テレビでいちばん大切なのは勇気”だということ」

相方の坂上二郎さん(享年76)は、欽ちゃんにとってプロデューサーのような存在だったという。

広告の後にも続きます

「『テレビは欽ちゃんのような若さが向いてる。欽ちゃんの好きなようにやんなよ』。そんなふうに言ってくれるんだもん、コント55号を作ったのは二郎さんだよね。それに、何も言わなくても僕の気分というのをよくわかる人で、僕が脂汗を流すような不得手な場では、『欽ちゃん、こういうの、好きじゃないだろう』って言って、自ら進んでバカをやってくれた。テレビでよく裸になったのも、そのせいだったと思う。いいやつだよ。今、テレビで裸のネタやっている人がいるけど、あれ、二郎さんの得意ネタだったの。忘年会じゃ、裸のネタしかやらなくてね。女のコがキャーキャー言って逃げ回って、バカウケしていたなあ」

記者の「コント55号が今いたら?」の質問に、「そりゃあ、バカウケするでしょう!」と力強い言葉で即答する欽ちゃん。

「二郎さんみたいなボケを演じるコメディアンはもういないですから。言葉のないお笑い。体力勝負。70歳超えて動けなくなった今になってね、“55号って偉かったなぁ”って思うんだ」

コント55号で人気絶頂のころ、1人の仕事が舞い込んだ。

「それが『スター誕生!』の司会の仕事。『前に進める仕事だけは断って』って言っていたのにどうして!? と。しかも、『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ系)の司会もすることになって、ずっとやだったの。でも、そこで見つけたのが“素人のよさ”。後に素人を使って番組作りを始めたのも司会業がきっかけね」

’77年、欽ちゃんはそれまで公にしていなかった夫人と7カ月の長男を初公開。取材陣が詰めかけた。

  • 1
  • 2

TOPICS

ランキング

ジャンル