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ミスター赤へル山本浩二引退【1986年10月27日】

週刊ベースボールONLINE


試合後の山本はずっと泣いていた

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月27日だ。

 史上初めて8戦目にもつれ込んだ1986年、西武─広島の日本シリーズ。それは少しでも長く、この男との別れを引き延ばすためだったのかもしれない……。

 ミスター赤ヘル・山本浩二。69年ドラフト1位で地元・広島に入団し、チームの看板選手として長く活躍。2399安打、536本塁打を積み上げたスーパースターだ。シーズン終盤に引退記事が出てから自宅と球団事務所には「やめないで」という内容の手紙が連日のように届いたという。

 ただ、山本自身は「やめる、やめないは個人的なこと。いずれはっきりさせるからシーズン中はやめてくれ。野球はチームとチームの戦いなんだ」と引退について質問する新聞記者に声を荒げ、進退の明言はしなかった。

 同年は打率.276、27本塁打、78打点。「四番」としては物足りないかもしれないが、引退を選ぶような成績ではない。第6戦、10月25日に40歳の誕生日を迎えた、この日本シリーズでもすべて定位置の「四番」に入り、第1戦では西武の東尾修から自ら「集大成」とも語るホームランも放っている。
 ただ、体は、もう悲鳴を上げていた。休みながらならともかく、フル出場し、中軸を打ち続けることは難しいだろう。

 山本には、「打てなくなって、走れなくなってボロボロになってスタンドから同情されてまでプレーは続けたくない」という美学があった。だから「カープの四番」として選手生命を終えることを決めた。

 迎えた10月27日月曜日の第8戦、広島市民球場のスタンドに両親と夫人、さらに男ばかりの子どもたちを座らせた。

 試合はまたも接戦となったが、西武が3対2で勝利し、1分けの後、3連敗4連勝という奇跡の日本一を達成している。
 敗軍の将・阿南準郎監督は「力は全部出しきったから悔いはない」と言いながらも「体調が悪く、バットも振れない状態だったのに、よく頑張ってくれた。引退の花道を飾ってやれなかったのは申し訳ない」と詫びた。

 閉会式の後、カープナインの手で胴上げ。「寂しいね。感無量。胴上げされていても、言葉が出なかった」という山本は、ずっと左手で涙を隠しながら宙を舞った。

 翌日の引退会見で広島は、山本の背番号8が球団初の永久欠番となることを発表。山本は万感の思いを込め、「山本浩二は本当に幸せな男です。山本浩二は本当によく頑張った」と真っ赤な目で言った。

写真=BBM

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