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柴田淳「私は幸せじゃないって認めた瞬間から幸せになれる」【インタビュー】

UtaTen

全てが懐かしくて再デビューしたような感覚

──先日、お台場のヴィーナスフォートでリリースイベントがありました。

柴田「予想以上にたくさんの方に集まっていただいて、用意していた600枚のCDが完売したことが信じられなかったです。柴田淳、すごいなって思いました(笑)。CDの購入特典として、握手と、会場限定の直筆サイン入りポストカードをお渡しさせていただいたんですけど、私にとっては正直、たいしたものじゃないんですよ。本当に粗品というか、これだけでごめんなさいっていう、ちょっとしたお土産レベルでしかなかったんです。でも、何時間も並んで待ってくれて、そこまで柴田淳のことが好きなんだっていう、皆さんの気持ちを肌で感じました。2年8ヶ月ぶりのリリースだったんですけど、前作はほとんどイベントをやらなかったので、本当にすべてが懐かしくて、再デビューしたような感覚に近いです。CDを買っていただいた方を一人一人ガン見して、ありがとうございます!って握手をしていたんですけど、イベントが終わってから、ツイッターをチェックしたら、選挙活動みたいだったって書かれていました(笑)」

──ファンの皆さんにとっては、またとない貴重な機会だったと思います。

柴田「握手をする時に、荷物は後ろに置いていただいて、握手が終わったら荷物を返すというシステムだったんですけど、みんな舞い上がっちゃって、荷物を受け取らないで帰っちゃうんです。私ごときでそんなに!?って、みんなが見てる私は本当に私なんだろうかと、どこか他人事でどこか俯瞰で見てるような私がいました。デビューから16年経っているんですけど、表舞台に立っているという自覚がないんです。まだまだだって自分で思っているので。でも、私を求めて下さっている人がたくさんいるんだっていう自覚を持たないといけないですね。私自身、どんなに褒められても、うぬぼれないように育てあげられてしまったところがあるので、やっぱり一昨日のあの光景を見ても、浮かれてはいなくて、ある意味、不幸だなとは思うんですよね。喜んでいいはずなのに、喜び方がわからない(笑)」

──ちなみに、柴田さんのファンの皆さんの男女比は?

柴田「圧倒的に男性が多いですね。8対2ぐらいかな?でも、ちょっと女性が増えました。」


大阪はアミューズメントスポット!?

──大阪に来られるのはいつ以来ですか?

柴田「2013年にアルバムを出した時以来です。4年ぶりなので、観光客気分です(笑)」

──柴田さん的に、大阪はどんなイメージですか?

柴田「私にとっては、非現実的な場所なんですよね。会う人、会う人、みんな大阪弁で(笑)。私は生まれも育ちも東京で、大阪自体がアミューズメントスポットというか、外国に近いです。ここで生活をしてるっていうのが想像できないです。心斎橋とか、梅田とか、道頓堀とか、通天閣とかに行きたいんですけど、仕事で大阪に来ても、ずっとタクシー移動で、街を歩いたことがないので、プライベートで大阪に来たいと思っています。一人旅で、北海道と広島と熊本に行ったことがあって、大阪とか、京都も行きたいんですけど、ホテルの部屋が空いていないことがほとんどで、まだ実現できていないんです。もし実現できたら、やっぱりグリコの看板の前で写真を撮りたいです!あと、通天閣のあたりで、二度漬け禁止の串カツを食べたい!テレビでよく映るじゃないですか。食べ歩きしたいです。」

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──USJは?

柴田「行きたいです!ハリー・ポッターのマフラーとか、コートを買って歩きたい!いつも友達に誘われるんですけど、なかなか休みのタイミングも合わなくて…。」







楽曲はストレスの中から生み出す

──9月20日に11枚目のオリジナルアルバム『私は幸せ』をリリースされましたが、2年8ヶ月ぶりということで、アルバムが完成するまでの道のりを聞かせて下さい。

柴田「去年の10月から制作に取り掛かって、いつもならだいたい4ヶ月ぐらいで終わるんですけど、レコーディングのスタジオが取れないとか、いろいろあったので、1年ぐらいかかってしまったんです。それで思ったのは、作った曲の鮮度ってあるんだなって。曲が出来ているのに、レコーディングが出来なくて。かといって、遊びに行くほどの精神的余裕はなくて、半分集中したままなので。スイッチを切れないまま、1~2ヶ月待つと、集中力が途切れてしまうのがキツいところがありました。それは今後の教訓として生かしたいなと思っています。その2年8ヶ月の間、最初の1年間は休ませてもらったんですけど、2015年1月にテレビの番組出演の話が来たんです。私のキャラが求められた感じだったので、音楽とは全然違う脳みそを使う仕事というか、社会科見学を1年間させてもらったなって。だから、2015年は全く音楽のことを考えてなかったですね。オリジナル曲を歌う仕事ではなかったんですけど、歌謡曲を歌う番組とか、いくつか出させてもらったりして、テレビの影響力ってすごいな~って思って。それで、2016年からそろそろ音楽を始めようと思ったら、たまたまパシフィコ横浜という5000人規模の会場が空いて、その1日だけ、私の憧れのメンバーのスケジュールが全員空いていたっていう奇跡が起きて、ライブをやったんです。でも、ライブの構築が上手くいかない状態でステージに立って、ストレスで倒れてしまったんです。その後も、難聴になるわ、皮膚病になるわで、動きたくても動けなくて…。その病気が去年の10月に完治したので、自発的に曲作りを始めて、今に至るっていう感じです。」

──30代最後にメロディを作って、40歳になって歌詞を書かれたそうですが、柴田さんが曲を書かれる時は、さぁ書くぞっていう感じで書くのか…

柴田「そうです!」

──いわゆる、“降りて来る”タイプではない?

柴田「歩いていたら降りて来るとか、よく聞きますけど、いつ降りて来るの?っていうぐらい降りて来ないです。だから私は、締切を自分で設定して、1ヶ月間、誰にも会わず、誰とも連絡を取らず、外にも出ず、そのストレスの中から生み出すっていうことをしないと、曲作り出来ないですね。」

──1か月間ずっと家にこもって…。

柴田「そうですね。食事も出前の生活で、大変です。」

──今作は10曲収録されていますが、もちろん、それ以上の楽曲を制作されているんですよね?

柴田「3~40曲ぐらいは作りました。」
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