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思い通りにならなかった桐蔭時代、それでも最後までやり抜いた経験が財産となる。プロを経験し経営者として活躍 株式会社GSL・小野剛社長(桐蔭学園OB)

高校野球ドットコム

 元プロ野球選手でありながら、引退後に複数の企業を経営する実業家に転身した男がいる。飲食店やプロ野球選手のセカンドキャリア支援などを行う、株式会社GSLの小野剛社長だ。

 巨人、イタリア、西武で計6年間プレーした小野さんは、引退後に不動産会社を経て独立。
 ホテル経営や飲食業などに携わりながら、ルートインBCリーグに加盟する福島ホープスのGMにも就任(現在は退任)。事業を多方面に広げて、拡大させてきた。

 そんな小野さんは、現在の活躍の土台を作ったのは高校野球での経験であると語る。
 神奈川の名門・桐蔭学園での3年間は、小野さんにどんな影響を与えたのだろうか。

「辛かったよな」と声を掛けたい高校時代

株式会社GSLの小野剛社長(桐蔭学園OB)

 大分県中津市出身の小野さん。小学、中学時代は、野球よりも勉強に重きを置いていたと振り返るが、180センチを越える身長と140キロに迫る剛速球は中学生のレベルを優に超えていた。九州地区では有名人であり、強豪校から引く手あまただった小野さんだが、慶應大学への憧れから桐蔭学園に進学した。

 「当時は高木大成さん(元埼玉西武)、高橋由伸さん(元巨人監督)が桐蔭学園から慶応大に進学していて、自分も慶應大に行きたいなと。
 ただ、入ってみると井の中の蛙だったというか。もっと凄い奴らはたくさんいて、高校では野手になりましたね。関東に出ずに、地元に残って野球を続けていた自分を見たかった思いは今でもありますね」

 大きな自信を持って桐蔭学園の門を叩いた小野さんだったが、入学後は外野手に転向。
 打者としてレギュラーを目指すも、ハイレベルな環境の中でポジションを掴むことができないまま小野さんは高校野球を終える。
 卒業後は東京六大学への進学も目指したが、思いは叶わず大学野球では新興の武蔵大学へ指定校推薦で進学した。

 高校時代の3年間は、小野さんにとって苦しみの期間であった。
 当時を振り返り小野さんは、「いい思いは無かったから、辛かったよなと声を掛けたい」と話す。今となっては、社会を生き抜くための糧になった貴重な3年間であったが、自信を見事に打ち砕かれた不遇の期間であったことが伺える。

 「思い通りにいかないことばかりでも、それを受け入れて何とか頑張り抜くことが大事だと思います。
 当時はそんなことを考えてもいませんでしたが、辛い自分に対して決して損じゃないよと言ってあげたいですね。当時の自分に声を掛けてあげるとしたら、頑張れ頑張れです」

 不遇の3年間を過ごした小野さんであったが、大学進学後は深い霧が晴れたように目覚ましい活躍を見せる。

 武蔵大学では再び投手に専念すると、そこから投手としての才能が一気に開花。首都大学野球リーグ二部の記録を塗り替える通算37勝を挙げ、主力投手として活躍を見せる。その活躍はプロ野球関係者の目に止まり、2000年のドラフト会議で巨人から7位指名を受けた。

年末年始に「他人の家」で過ごした経験

元プロ野球選手の福井敬治氏と狭山西武ボーイズの練習を見つめる小野剛社長(桐蔭学園OB)

 巨人入団後は、一軍の登板がないまま2年で戦力外になるが、その後活躍の場を海外に求めてイタリアへ渡る。NPB復帰を目指してイタリア・セリエAのT&Aサンマリノで1年間プレーすると、その後西武ライオンズの入団テスト受けて見事合格。念願の日本球界復帰を果たした。

 西武では3年間プレーし、2006年に戦力外通告を受けたが、小野さんに悔いは無かった。

 「巨人では、工藤公康さんに可愛がっていただき、今でもよく連絡を取ります。
 巨人を戦力外になったとき、俺ならボロボロになるまでやるけどなと言われて、イタリアまで行き、NPBにも復帰できました。もう十分やったなと」

 引退後は、すぐに不動産会社に就職した小野さん。そこで商才を発揮して、抜群の営業成績を収める。
 その後、独立してプロ野球選手のマネジメントを行う株式会社GSLを設立すると、2008年には福島のホテルを買収して、2010年には不動産会社を買収。さらには飲食業や、中学硬式野球チーム「狭山西武ボーイズ」を立ち上げるなど、矢継ぎ早に事業を拡大し、事業家として活躍を見せている。

 「プロ野球選手は、一生働ける職業ではありません。将来に向けての資産形成とか保険とか、様々な提案をしています。
 プロ野球選手なんて(良い暮らしが出来るのは)一時的だからと、親はみんな子どもに言いますが、そうなると夢も何も無くなってしまします。一度プロ野球選手になったら、その後もハッピーしかないよしないと、みんなプロ野球選手にならないし、プロ野球選手もみんなメジャーに行ってしまいます」

 事業家として、そして野球人として第一線で活躍を続ける小野さん。
 そんな小野さんに、最後に高校野球での経験が現在の経営者としての仕事に、どのように生きているか伺うと、年末年始に経験したあるエピソードを紹介した。

 桐蔭学園では毎年、正月にグランドに集まる伝統があり、年末に帰省することができない。
 大晦日も友人の自宅で過ごすこととなったが、その時の「気遣い」が今の仕事にも大きく役に立っていると話す。

「やっぱり大晦日くらい家族でくつろぎたいじゃないですか。そんな中で、僕がいるのがやっぱり申し訳なくて。自分なりに気を使って、早く部屋にいって寝たのを覚えています。でもそうやって相手の気持ちを察して動くことは、あの大晦日で教えられましたし、どんな人物に会って話をするときでも、まずは緊張しなくなりました。相手の懐に、すぐに飛び込めるようになったと思います」

ビビることはやめ、常にプラス思考になった

高校時代の小野社長(真ん中上)

 小野さんにとって「経営者」という仕事の一番の魅力とは、毎日が新鮮であることだ。
 自分の考え方や目的さえしっかりしていれば、同じ日々の繰り返しが無く、毎日が冒険のように感じる。
 当然、冒険には苦境もつきものであるが、苦しい状況の時ほど野球で培われた「プラス思考」の精神が活きてくる。

 小野さんは、経営者としての苦境を乗り越えることができた背景を説明しつつ、高校球児たちも将来は経営者として社会に貢献する人物になってほしいと思いを語った。

 「東日本大震災など苦境はたくさんありました。
 野球をやっていたころはマウンドでビビっていました。四球出したら、打たれたら…と。しかし、もうビビることはやめようと常にプラス思考になったのが、野球での経験からの活かされています。命まで取られない。
 それが(ここまで)苦境を乗り越えられた理由ですかね。まあ、毎日苦境ですが」

 日々の仕事を通して、小野さんが改めて感じることは、高校球児は最後までレギュラーを目指して努力を続けることが大事だということだ。
 最後までやり抜く成功体験を得ることが最も大事であり、そこに高校野球の大きな価値があると考えている。

 小野さんは経営者としての自身の経営を踏まえて、最後の高校球児たちへ熱いメッセージを送った。

 「最後まで諦めずやり抜くこと。全てはそこだと思います。そして、そのために野球をやる。野球を高校や大学まで一生懸命にやり抜いた人は、その部分を自然と身につけるはずです。

 もちろん、その中で能力のあった人はプロ野球にいく。
 しかし、ほとんどは一般社会で働くわけです。その時に野球を一生懸命に続けた人間は一般社会で活躍します。夢としてプロ野球選手をみんな目指すべきですが、達成されなかった時には別の社会で大活躍できる人物になれる、それが高校野球ではないのでしょうか」

 選手として酸いも甘いも経験し、経営者として成功した小野さんならではの言葉だろう。
 高校野球での経験を土台に、社会で活躍する選手が増えることを小野さんは心から願っている。

(文/栗崎 祐太朗 )

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