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ペナントレースから日本シリーズまで……ヤクルト・岡林洋一の力投/プロ野球20世紀・不屈の物語【1992年】

週刊ベースボールONLINE

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

15勝、12完投、3完封



ヤクルト・岡林洋一

 大混戦となった1992年のセ・リーグについては紹介したばかりだ。このときは2位に並んだ巨人と阪神を中心に話を勧めたが、今回は優勝したヤクルトに焦点を絞ってみる。重複になるが、野村克也監督となって3年目、“ID野球”の初優勝だったが、決して盤石の戦力で手にした栄光ではなかった。これは、セ・リーグが大混戦となった理由のひとつでもあるだろう。

 打線は充実していた。33盗塁で盗塁王の飯田哲也をリードオフマンに、助っ人のハウエルが38本塁打、打率.331本塁打王、首位打者の打撃2冠。広沢克己は2年連続の打点王こそ逃したものの四番打者として打線の核となり、池山隆寛も30本塁打を放って5年連続で大台をクリアする。攻守の要で“ID野球の申し子”古田敦也も30本塁打。チーム599得点はリーグトップだった。苦しんだのは投手陣だ。前年14勝の川崎憲次郎が故障、同じく15勝の西村龍次も調子が上がらない。その穴を埋めたのが2年目の岡林洋一だ。キャンプで1600球を投げ込んでいた岡林は準備万端。ただ、前年に岡林が務めていたクローザーの穴は埋まらず。シーズン初登板となった4月5日の阪神戦(神宮)では9回129球を投げたが、その9回に追いつかれ、延長戦でリリーフが打たれて敗戦。クローザー不在のチームで、岡林は投げまくることになる。

 5月13日の巨人戦(東京ドーム)で135球のプロ初完封。7月は5試合に登板して、すべて9回を投げ切って4完投勝利を収める。8月11日の中日戦(神宮)で6連勝となり、11勝目。すべて完投勝利だ。すでに紹介している9月11日の阪神戦(甲子園)では7回の途中からリリーフ。八木裕の“幻の本塁打”もあったが、延長15回まで133球、9イニングを“完投”して執念のドローに持ち込み、チームの首位を守った。

 9月はリリーフに専念していたが、天王山となった10月6日の阪神戦(神宮)では112球の完封。最終的には15勝、12完投、3完封で、4試合が無四球完投だった。これも重複になるが、ヤクルトは最下位の中日とも9ゲーム差という稀に見る大混戦を制して14年ぶりのリーグ優勝。復調した西村も最終的に14勝を残しているが、この92年のエースは間違いなく岡林だったと言えるだろう。

 日本シリーズの相手は黄金時代の真っただ中、前年と勢力図が大差ない安定のパ・リーグを悠々と制して3連覇を果たした西武。“絶対王者”西武に“挑戦者”ヤクルトが挑む構図だったが、そんな日本シリーズも、全7試合のうち4試合が延長戦、第4戦から第7戦までの4試合は1点差という稀に見る熱戦となる。それを演出したのも、やはり岡林だった。

3完投、1勝2敗、防御率1.50



92年、リーグ優勝を果たしビール掛けで喜びを爆発させる

 日本シリーズ第1戦(神宮)の先発を任されたのは岡林だ。試合は延長戦に突入。岡林は12回、161球を投げ抜いた。その裏、代打の杉浦享がサヨナラ満塁本塁打。日本シリーズ初の劇的な幕切れに、真っ先にベンチを飛び出したのも、やはり岡林だった。続いて第4戦(西武)に先発。だが、このときは打線の援護がなく、秋山幸二に投じたカーブをソロ本塁打にされて1失点、109球の完投負け。「あの1球を除けば自分のピッチングができました」とサバサバと語った。

 両チーム3勝3敗で迎えた第7戦(神宮)は、西武はシーズンMVPの石井丈裕が先発。もちろんヤクルトは岡林だ。ともに守備の乱れもあって1点ずつを失い、試合はシリーズ4度目の延長戦に。10回表に岡林が秋山の犠飛で1点を奪われ、その裏のヤクルトは無得点。岡林の力投は日本一に結びつかなかった。3試合、32イニングを投げて3完投、1勝2敗。それでも、四死球3、防御率1.50という数字からは、その安定感が分かる。

 だが、その代償も大きかった。岡林は翌93年から故障との戦いとなり、94年には11勝を挙げたが、離脱と復帰を繰り返して、20世紀とともにユニフォームを脱いだ。細身の長身から投げ下ろす快速球とフォークが武器の本格派右腕。その現役生活は対照的に太く短かった。それだけに、多くのファンの記憶に強く、深く刻み込まれている右腕でもある。

文=犬企画マンホール 写真=BBM

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