top_line

ロマンあふれた異色の“スイッチピッチャー”近田豊年/特殊技能を持ったプロフェッショナル

週刊ベースボールONLINE

プロ野球では勝ち負けがすべて。攻守走に卓越した選手の最高のプレーを楽しめるのが醍醐味だが、試合に貢献しているのは表層的な技だけではない。激しくしのぎを削っていた決して脚光を浴びることのない特殊技能を持ったプロフェッショナルたちを紹介しよう。

「実は右でも投げられる」



左右両用グラブを左手にはめる近田

 野球を題材にした漫画やアニメ、ドラマはたくさんある。その個性あふれるキャラクターにあこがれ、野球を始めるきっかけとなったファンも多いはずだ。ファンの誰もが知っているのが、『巨人の星』の主人公・星飛雄馬だろう。

 魔球・大リーグボールを武器に、巨人の大エースへと駆け上がるサクセスストーリー。左腕を壊して一度は引退したが、数年後に右手投げで劇的な復活を遂げるというあらすじにファンは熱狂した。そんな奇想天外な野球人生をたどったヒーローの生きざまを地でいくかのように、左右の「両手投げ」としてプロ野球でプレーした投手がいた。南海(後のダイエー)と阪神に在籍した近田豊年だ。

 近田は本来、左利き。肩は滅法強く、小さいころは投手を任されることが多かった。だが、右利き用のグラブしかなく、左手にはめてプレーをすることを強いられた。そんな日常から右での投球は次第に違和感がなくなり、「当たり前のように両手で投げることができるようになった」という。

 もともと運動能力と野球センスは抜群。めきめきと頭角を現した。高知の名門・明徳高(現在の明徳義塾高)に進学すると、1983年にはセンバツ大会に出場。高校卒業後は社会人の本田技研鈴鹿に入社し、87年オフにドラフト外で南海への入団が決まった。

 入団テストは利き腕の左腕で臨んだ。上から豪快に振り下ろす最速147キロのキレのあるストレートが認められ、見事合格。しかし、近田は「実は右でも投げられる」とアピールした。実際に右のサイドスローを見せると、まるで別人かのような対照ぶりに球団関係者はびっくり。思いも寄らぬスイッチピッチャーの出現に興味を示したのが、当時監督を務めていた杉浦忠だ。

 本格派としての左腕の投球以上に期待したのが、潜在能力を感じさせる右からのアンダースローだった。球速は130キロそこそこだったが、杉浦は希少価値のある下手投げであることを高く評価。「下手投げのマシンや打撃投手はいないから、練習機会がほとんどない。打者からすれば厄介な存在になるし、一人で二役できるなんておもしろいじゃないか」。一野球ファンのように興奮した。

 自らもオーバースローからアンダースローに転向した経験があり、そのアドバンテージは知り尽くしている。通算187勝を挙げた球界を代表するかつての名投手は、革新的な発想を受け入れる柔軟さがあった。

一軍登録は後にも先にも近田のみ


 近田はプロ入り後、運動具メーカーに左投げと右投げの両方で使える6カ所指が入る特製グラブを注文。球界では「スイッチピッチャーは左右どちらで投げるか投げる手で意思表示をしなければならない」という取り決めもなされた。

 プロ野球の歴史を紐解くと、両手投げ投手は60年中盤に巨人に在籍した吉成昭三、70年代終盤にヤクルトのユニフォームを着た野崎進がいる。しかし、ともに一軍登録はされておらず、公式戦のマウンドに立つことはできなかった。「両手投げ投手」として登録されたのは後にも先にも近田一人しかいない。

 プロ通算4年で登板機会は、左で投げたわずか1試合だけ。成績は0勝0敗、防御率9.00と残念ながら勝ち星を挙げることはできず、杉浦が期待した右での勇姿は見せられなかった。しかし、ファンに夢を売るのがプロ野球の使命だとすれば、近田の存在は意義のあるものだったと言えよう。

 プロ野球は一握りの一流どころだけのためだけではなく、それぞれの事情と運命を背負い、野球に打ち込むさまざまなプレーヤーがいるからこそ感動のドラマが生まれる。ほかにマネることのできない技能を持つ近田は、異色ながらも、紛れもないプロフェッショナルだった。

写真=BBM

TOPICS

ランキング(スポーツ)

ジャンル