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野村克也さんを支えた母への思い「マザコンなのかな(笑)」

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墓参する野村さん

 

 亡くなった野村克也さんは、子供のころ、貧しい生活を強いられた。そんな野村さんの野球人生を支えたのは、生活費を必死で稼ぐ母の献身だった。

 

 本誌は、そんな野村さんの墓参姿をキャッチしたことがある。

 

 

 野村さんは、2009年、出身地の京都府京丹後市から名誉市民に選ばれた。墓参は、同市でおこなわれた顕彰式典の前日のこと。野村さんは、墓前に20分以上たたずみ、両親との久々の再会を懐かしんでいた。

 

 式典のスピーチでは「久しぶりに帰ってまいりました。ふさわしくない表彰だと受け止めております。峰山高校を出て、早いもので54年が過ぎてしまいました……」と、最初は淡々と挨拶していたが、次第に涙声に変わっていく。

 

「微力ではありますが、間接的にしか京丹後市に恩返しすることしかできませんが、私で役立つことがありましたら、いつでもまいりますから、どうぞ私を使ってください」と、最後は感情の赴くままにむせび泣いた。

 

 涙の裏には、亡き母・ふみさんとの思い出があった。日中戦争で早くに父・要市さんを亡くした野村さんにとって、女手一つで育ててくれたふみさんはかけがえのない存在だった。その最愛の人との思い出が、故郷にはいっぱい詰まっていたのだ。

 

 式典後、会見に臨んだ野村さんは開口一番、「参った。皆さんには何の涙かわからなかったと思うけど、あれは母の涙。(式典前に)墓参りをしたのが悪かった。

 

 母がからんでくると弱いんですよ。子供のころからずっと苦労している姿ばっかり見てきたし、母の愛情しか知らないんだ。マザコンかな(笑)。本当に恥ずかしい姿を見せてしまった」と語っていた。

 

 野球人・野村克也の基礎を作り上げた京丹後市網野町。自身の思い入れも相当なものだが、1年に1回、墓参りに帰ってくる程度だった。

 

 会見を終えた野村さんに、本誌記者が「墓前にずいぶん長くいましたが?」と話を聞くと、「寒かったでしょ。見えない人(母)とずっとしゃべっていましたから……」とだけ答えて立ち去った。

 

 子供の頃、母の愛に支えられた野村さんは、母への恩返しの気持ちを、終生忘れることはなかった。

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