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下北沢で44年! ジャズバー「LADY JANE」に映画人らが集う理由とは?

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執筆:Avanti Press

下北沢の老舗ジャズバー「LADY JANE」。亡くなった松田優作さんが常連だったことはよく知られる話だ。演劇、映画、ジャズの実演者、そしてありとあらゆるクリエイターがここで酒を酌み交わし、新たなる発想を得、ものを作りだすエネルギーに変えてきた。

オーナーは大木雄高さん。この地で44年もの長きにわたり、バーの灯をともし続けている。

舞台美術家の大野泰氏らに依頼した店内(撮影:Avanti Press)

下北沢は文士の町だった!?

「LADY JANE」の創業は1975年。現在、演劇の町でもある下北沢の顔、本多劇場の1982年より早いオープンとなる。「昔の下北沢は、映画人や舞台人より“文士”が多かった」と大木さん。小説家ではなく“文士”だ。

萩原朔太郎、横光利一、森茉莉、坂口安吾、石川淳、斎藤茂吉、田村泰次郎、宇野千代らの下北沢文士町を築いた人々の面影を追って、下北沢には様々な才能が集まった。故萩原葉子をはじめ、日野啓三、山際淳司、沢木耕太郎、山田詠美、川上弘美たちは「LADY JANE」の客でもある。そんな文化の薫りを嗅ぎ取ったミュージシャンや演劇人たちが、下北沢で活動を始めた。

店内では書籍の販売も。個性的なタイトルが並ぶ(撮影:Avanti Press)

ベストセラー原作の映画化は現在の日本映画の風潮といわれるが、実のところ映画と小説には長い蜜月の歴史がある。映画人が飲みに集まるようになったのも、そんな“文士”たちとの接点を求めたからではないかと大木さんはいう。

近くに日活、KADOKAWA(当時は大映)のスタジオがあるのに、同じような条件の京王線明大前が、下北沢のような飲み屋文化を持つ町にならなかったことをその理由としてあげる。

ジャズバーとしての再出発

大木さんは1945年に栃木県で生まれ、広島で育つ。中央大学に入学し、在学中は映画を見まくる一方、演劇活動を開始した。70年代は劇団を主宰するも、固定収入がない。そうして「LADY JANE」をオープンした。「音楽、映像、物語の総合芸術である映画。それと酒とジャズ。その3つを合わせたら、面白い場所になるんじゃないか」と。

オーナーの大木雄高さん(撮影:Avanti Press)

バーの内装は、後にポール・シュレイダー監督『MISHIMA』(1985)の石岡瑛子班のチーフデザイナーや、『ブラック・レイン』(1989)のアートディレクターを務めた舞台美術家、大野泰氏を棟梁にして決めていった。実にアバンギャルドなデザインの“変なバー”ができたと話題になったそう。

千客万来、様々なクリエイティブな会話が飛び交う店になったが、劇団とバー経営を両立させるのは無謀なこと。脚本を書く暇も、1カ月におよぶ稽古をする時間も取れなくなり、どちらか選択せざるを得なくなった。結果、バーを選び、同時に運営形態をジャズバーとするべく店を広げて改築。1978年、現在の形態で再出発した。

このカウンターでどんな会話が交わされ、何が生み出されていったのだろう(撮影:Avanti Press)

ジャズバーとしての再出発後、大木さんはまずレコードを集めた。「みんなお金がないので高い酒は飲めない。ならば高い酒に金をかけるより、むしろジャズバーを確固たるものにすることのほうが大切だと思い、毎月レコードを200枚ずつ買った」と大木さん。

同時にジャズライブを始めるが、設計上ドラムを置くことが難しいため、当時、ジャズのフォーマットであったピアノ、ドラムス、ベースのスリー・リズム編成を壊し、ピアノ×ギター、ピアノ×サックスなどドラムレスなライブを行った。

ライブがある時は椅子と机を取り外し、ステージとなるコーナー(撮影:Avanti Press)

「“ジャズ、わかってねえ”って、同業者からは白い目で見られてましたけどね。KYLYNバンドを率いて一世風靡した渡辺香津美のギターと橋本一子のピアノ、坂田明のサックスと橋本一子のピアノなんていう組み合わせ。最初はやり難そうに演奏してましたけど、だんだんエキサイトして本人たちが面白がってきた。日本のジャズの殿堂といえば新宿ピットインだけど、“あのセット、うちでもやっていい?”って、ある日電話がかかってきたり。後ろ指さされていたはずなのに、いまやそれも定番になりました」

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