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嵐の原点を示す堤監督の“地理学”とは? 『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』

goo映画

執筆:Avanti Press

2002年、J-POPアイドルグループ「嵐」が、初めて5人で主演した映画『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』が公開された。V6の井ノ原快彦の自伝的エピソードをベースに、スリリングでスキャンダラスな世界観が人気の河原雅彦が脚本を、堤幸彦が監督を務めた作品だ。

「ケイゾク」(1999・TBS系)、「池袋ウエストゲートパーク」(2000・TBS系)、「TRICK」(2000~2003・テレビ朝日系)など、ずらした構図、とらわれない発想で、観たことのないドラマを次々と世に送り出し、“堤以前・堤以後”なる言葉を生んだ堤幸彦が監督を務めたことは、大いに話題になった。

島につながる「かもめ橋」。春は桜が見事に橋を彩る(写真:pixta)

そんな河原脚本、堤監督の作品ゆえ、嵐のメンバーはそれぞれ、トップアイドルである現在の姿からは想像できない破天荒なキャラクターを演じている。

井ノ原快彦が育った思い出の地を舞台に

東京・品川区、京浜運河と東京湾に挟まれた埋立地に建つマンモス団地・八塩団地。高3のシュン(相葉雅紀)、チュウ(櫻井翔)、ボン(松本潤)、ハル(大野智)、タクマ(二宮和也)の5人は、東京らしからぬ独特な地域性を持つこの地に育った。ある日、ナンパを決め込み、憧れの原宿へと出かける5人。この日を境に未来へと、彼らの生活は始動し始める。

埋立造成地である八潮では丘も意図をもって作られている(写真:pixta)

“八潮”にそびえたつマンモス団地は、原案にクレジットされている井ノ原快彦が幼い頃住んだ思い出の地。エピソードの多くは実話だという。嵐5人は、井ノ原に話を聞く会を設けるほど、熱心に役作りに取り組んだのだそう。

舞台となった“八塩団地”の設定はなぜ細かい?

八潮の“まちびらき”は、1983年。まだ40年弱の新しい町だ。現在は、町が完成した当時の、バブル経済をガンガンに支えたベッドタウンの趣は影を潜めている。「無印良品」とコラボしたマンションや、おしゃれなリノベーションが施されたマンション群が若い世代の人気を集め、お年寄りにも優しい川と海、緑に囲まれた“ウォータフロントタウン”として紹介されている。

住民の憩いの場である散歩道でもロケは行われた(写真:pixta)

『ピカ☆ンチ LIFE IS HARDだけどHAPPY』の“八塩団地”は、世帯数約6000、人口11206人、棟数69という設定。島の東側は、大井ふ頭、鉄道の車両基地などを擁する国際的物流拠点。西側は、都市計画のもと、所得に応じて展開するマンションや団地が、緑地や施設とともに整然と配置され、病院、交番、小中学校、コンビニエンスストア、美容室、カルチャーセンター、公園、運動場、スーパーマーケットと、生活に必要なものはすべてそろっている。

通勤・通学する住人9525人の内、13%は“やしお橋”をわたって港区方面へ、33%は“かもめ橋”をわたって品川方面へ、残りの54%は“さざなみ橋”をわたって川崎方面に行くと、かなり細かい設定がなされている。そんな細かい設定が、この映画には生きる。なぜなら堤幸彦監督は、映画・ドラマなど作品作りに“地理学”を取り入れている作家だからだ。

映画を深読みさせる堤幸彦の“地理学”

この場合の地理学とは、“なぜその場所に町があり、その土地ならではの自然があり、人がいて、その営みが行われているのか”を学ぶ学問。例えば、「ロケに行った際、なぜ蔵がみんな同じ向きで建てられ、北側が鉄板で囲われているのか。それは、北からの乾燥した風が呼ぶ火を防ぐため」。

地理学から得たそういった事実を、作品のモチーフに利用しているのだという。なぜこの映画がここで撮られたのか? そこには地理学的な必然があるというわけだ。そう思って観ると、この映画はどこまでも深読みできる。

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