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40トンの岩石に刻まれた刻印の意味は?今だ未解明、ダイトン・ロックの謎

カラパイア

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public domain/wikimedia commons

 アメリカ・マサチューセッツ州トーントン川の岸辺で発見された40トンの岩石には、いまだ解読不能の文字のような、線画のようなペトログリフ(線刻)が刻印されている。

 1680年、にイギリス人入植者が初めてこの岩石を世に紹介して以来、300年近くに渡り、多くの人がその起源や意味を推測・解読しようとしてきたが、今だ謎に包まれている。

ダイトン・ロックが世に知られるようになるまで


 1680年秋、ハーバード大学で学位を取ったばかりのイギリス人牧師であり入植者のジョン・ダンフォースは、マサチューセッツ州南岸のトーントンに立ち寄り、文字か記号らしきものが描かれたダイトン・ロックを調べた。

 この岩は300年以上、ダイトンのトーントン川の中にあって、満潮のときには水没していた。

 岩の重さは40トン、大きさは長さ3.3メートル、高さ1.5メートル。その表面に文字や記号のようなものがびっしり刻まれている。

 ダンフォースは岩に記されたペトログリフの絵を描き写した。彼はこの刻印はアメリカ原住民の手によるものだと考えていた。

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1680年にジョン・ダンフォースが描いたダイトン・ロックの記号

 その後ダイトン・ロックは今日に至るまで、学者や考古学愛好家、ニューイングランドの先住民族を研究する学生、観光客を魅了してきた。

 ダイトン・ロックは、1963年、コッファーダムの建設の為に移動され、ダイトンロック州立公園の博物館に保管された。

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wikipedia commons

ダイトン・ロックの刻印をめぐる様々な説


 ダイトンロックに刻まれた謎の刻印は、いったい何を意味するものなのか今だ不明だが、35以上のさまざまな説が生まれている。

 聖職者で作家のコットン・マザーは、1689年に行った説教の中でこの岩をとりあげ、のちに「The wonderful works of God 」として出版、偉大なる神のこの優れた所業について語っている。

 マザーは、岩に描かれているこれらの記号の詳細について「いつのものなのか、どうやって描かれたのか、今生きている者は誰もわからない」としながら、高貴なピューリタンがニューイングランド(アメリカ合衆国北東部の6州)にやってくる前、サタンに支配されたヨーロッパの探検家がここで朽ち果てた時、この記号を残したのではないかと予想した。

 1767年、のちにエール大学の学長になるエズラ・スタイルズは、ダイトン・ロックに描かれた記号はフェニキア語だと断言した。地中海貿易で有名なフェニキア人たちが、北米にたどり着いて、名刺代わりにこの記号を残したのだというのだ。この説は、ヨーロッパでかなり受け入れられた。

 そのほかにも、シベリアを経由してアメリカに渡ったアルメニア人が描いたものだという説、アメリカ先住民と日本や中国、その他のアジアの探検家と結びつけようとする説もある。


The Philosophy Chamber — Dighton Rock, an 18th-Century Enigma

 1789年、ジョージ・ワシントンが、ニューイングランドを訪ねたときに、ダイトン・ロックの記号は先住民が残したものだと考えた。

 ワシントンがヴァージニアで見ていた先住民の描いたものと似ていたからだという。建国の父が、先住民がなんらかのメッセージを残したとするダンフォースの最初の報告を支持したことになる。

 1837年、デンマークの作家、カール・クリスチャン・ラフンが、40ページ以上に渡ってダイトン・ロックの分析について書いた『Antiquities Americanae』を出版すると、議論が再燃した。

 ラフンは、この岩の記号はスカンディナビア人が描いたもので、”アイスランドの探検家トルフィンと彼の151人の探検隊が、この土地を所有していた”という意味だという。

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 ダイトン・ロックに関してそれはたくさんの研究がなされたが、同じ見方をする者は誰もいない。

 1912年、エドモンド・バーク・デラバールが、新たな説を打ち出した。これは、ポルトガル人がアメリカを発見した証拠だという。

 ブラウン大学の学者であるデラバールは、長年ダイトン・ロックの近くで夏を過ごし、描かれている記号の意味を解読しようと途方もない時間を過ごした。

 その結果たどりついた説は、1502年にポルトガルから航海に出て、そのまま消息を絶った探検家のミゲル・コルテ・リアルが描いたものだというものだ。

 デラバールによると、これらの記号の意味は”我、ミゲル・コルテ・リアル、1511年。この地にて、神の意思により、先住民の長となった”と読めるという。

 2002年、ある学者がこの記号は中国語で、中国人がアメリカを発見した証拠だと主張した。だが今だその真相は明らかになっていない。

References:newenglandhistoricalsocietyなど/ written by konohazuku / edited by parumo

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