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「Chukyo」から「CHUKYO」は「復刻」ではなく「進化」。中京大中京高の胸文字に込められた意味

週刊ベースボールONLINE


中京大中京高・高橋源一郎監督は母校のユニフォームについて熱く語る。1996年春以降、今春まで使われた旧ユニフォームの胸は筆記体で「Chukyo」だった(写真は練習用Tシャツ)

「復刻」ではなく「進化」だった。

 1923年創立の中京商は、学制改革により48年から中京商高、普通科が設置された67年に中京高、商業科が廃止された95年に現校名の中京大中京高と改称になった。そして98年には「男子校」から「男女共学化」と、時代に合わせた学校改革が着々と進められてきた。

 母校・中京大中京高を率いて10年目の高橋源一郎監督は旧ユニフォームのデザインTシャツを着用して、取材に応じてくれた。

 丸首で胸には筆記体で「Chukyo」。1996年春以降に採用されたが、その理由を、指揮官はこう語る。

「学力もレベルアップし、前理事長の意向もあって、昔のイメージを払しょくしたかったようです」

 1997年春のセンバツ準優勝で、「Chukyo」は全国に衝撃を与えた。2009年夏には堂林翔太(現広島)を擁して43年ぶりの全国制覇。結果を残したことで「Chukyo」も定着、ファンの間でも浸透した。

 ところが、時代の流れとともに、かつてのデザインを熱望する関係者が多くなってきた。

「学園としても高、大の連携が強くなり、中京大学野球部が襟付きのデザインに戻して、結果を残したことも後押しとなりました。昔のイメージを払しょく、という意味では、一つの役目を終えたのも確かです」(高橋監督)

 さらに、ユニフォーム変更のきっかけとなったのは昨年11月、深谷弘次元監督(享年90)の死去にもあった。甲子園3度の優勝へ導いた名将の教え子たちからも、復活への声がさらに高まったのだという。

 高橋監督の「思い」もあった。2015年夏には右腕・上野翔太郎(駒大、来年から三菱日立パワーシステムズ入社予定)を軸に甲子園3回戦に進出へと導いたが、17年夏は初戦敗退。超名門校も、最近は苦戦が続いていた。

「(今年で就任)10年目。甲子園まであと一歩のところ、というケースも続き『原点回帰』を込めました。平成から令和に変わった。OBを含めて一つになって戦っていくためには、ユニフォーム(変更)だと思ったんです」


イン今夏以降の新ユニフォームは伝統の立ち襟スタイルで、胸の「CHUKYO」はアーチ型の活字体(ブロック体)となっている(写真は練習用Tシャツ)

 19年に学校、OB会の同意の下、ついに動いた。伝統の立ち襟で、胸の「CHUKYO」はアーチ型の活字体となった。一見、復刻に映るが「進化系」という。収縮性ある生地で、最近の流行でもある、ゆったりめの形状とした。さらに身軽に動ける昇華プリントではなく、伝統校らしく刺繍にこだわった。

 今夏から正式に採用され、この秋は県大会優勝、東海大会優勝、明治神宮大会初優勝と、各メディアに露出されるシーンも増えた。

「OBの方たちは皆、喜んでくれている。良い反響、良い流れができている」(高橋監督)

 現在の部員は、堂林ら09年夏の「Chukyo」にあこがれて入学してきたケースも多い。しかし、今回のユニフォーム変更を前向きにとらえている。148キロ右腕エース・高橋宏斗(2年)は言う。

「古いデザインに戻したのではなく、自分たちの中では、新しいユニフォームで戦っているイメージです。つまり復刻ではなく、新しい伝統を作っていきたいと思っています」

 現チームは1966年以来、同校2度目の「春夏連覇」を目指している。過去に春4度、夏7度の全国優勝を誇り、古豪再浮上へ機運は確実に高まってきた。

 取材中、高橋監督は「今は、こちらでしたね」と、撮影のために新デザインのTシャツに着替えてくれた。大正、昭和、平成、令和が融合した新ユニフォーム。来年3月のセンバツ出場は「当確」であり、甲子園のオールドファンも、懐かしさを覚える春となるはずだ。

文=岡本朋祐 写真=田中慎一郎

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