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【連載】『原一男のアメリカ凸凹疾走ツアー第2回』スコセッシとヤンキー・スタジアム

キネマ旬報WEB

2019年6月、北米4カ所にて、ドキュメンタリー監督・原一男の業績を称える大々的なレトロスペクティブが開催された。それに合わせ現地へと赴いた原監督(プロデューサーの小林佐智子、島野千尋が同行)。果たして、日本が誇るドキュメンタリーの“鬼才”はアメリカといかに出逢ったのか? 監督自らが綴る旅の記録、第2回!!

第1回はこちらから。

NY番外篇〜とある既視感

スコセッシ新作のパーティーパス

 今回のアメリカツアーが実現した背景には、それぞれのイベントのキュレーターたちの情熱と、映画のセンスが重要だったとつくづく思う。つまり、彼らが私たちの作品を選んでくれたからこそ、実現したわけだからだ。
MoMA のキュレーターのジョシュア・シーゲルは、2009年にアメリカで出版された“CameraObtrusa”(拙著『踏み越えるキャメラ―わが方法、アクションドキュメンタリー』〈フィルムアート社〉と『ドキュメント ゆきゆきて、神軍』〈皓星社にて復刻〉をベースに翻訳)にインスパイアされて、今回のイベントを発想したようなのだ。MoMA の初日にマイケル・ムーアをトークゲストとして呼んだのも、彼の尽力によるものだ。おかげでニューヨーク・タイムズ紙やニューヨーカー誌に寄稿する著名評論家たちがこぞってこの企画を注目、原稿を書いてくれた。彼の狙いは当たったわけだ。その彼が、イベント終了後、マーティン・スコセッシ監督の新作ドキュメンタリーのプレミア上映があるので観に行かないか、と声をかけてくれた。

チケットはすでにソールドアウト状態で、入手できるかどうかわからないが手配してみる、と彼は言い、なんとか2枚確保してくれた。チケットを持って上映会場のリンカーンセンターへと出かけた。さすがに世界の巨匠マーティン・スコセッシ作品だし、主演は、ノーベル賞を受賞したあのボブ・ディランとくれば、ニューヨークっ子は見逃せないだろう。劇場は大勢の観客でごった返していた。中に入ってさらに驚いた。昔、歌舞伎町に新宿ミラノ座や新宿プラザ劇場という巨大な劇場があったが、それ以上の劇場だった。私たちの指定席は、一番後ろ。全体がよく見渡せる。が、舞台挨拶をするスコセッシの顔は遠すぎて、よく判別できなかった。

さて、スコセッシ監督の新作ドキュメンタリー、タイトルは“Rolling Thunder Revue” で、ボブ・ディランの1975年のツアー「ローリング・サンダー・レヴュー」を追ったもの。プレスリリースによれば、同年の「アメリカにおける複雑な状況や、ボブ・ディランが演奏する喜びに満ちた音楽」を描いた作品。そう書いてあるが、私は英語が得意ではないので、作品の全容を理解できたとは言えない。が、映画の手法は、おおよそ分かる。観客席からは、時々笑いが起きていたから、観客は面白く見ていたのだろうと思うが、私のなかではある既視感が渦巻いていた。

1992年のことになるが、私は「文化庁1年派遣芸術家在外研修員」として、1年間NYに滞在していた。そこでアメリカと日本のドキュメンタリーの違いを洞察することで、ドキュメンタリー表現のおもしろさを学びたい、と考え、アメリカのドキュメンタリーを意識的に観た。語学力の問題で十分な本数を観られなかったが、おぼろげながらアメリカのドキュメンタリーの特徴のようなものが摑めた気がした。そして日本のドキュメンタリーの特徴も。あくまで、まだ仮説段階だが、アメリカのドキュメンタリーの特徴を一言でいえば「まず批評ありき」だと思った。ひるがえって、日本のドキュメンタリーの特徴、それは「まずは共生すること」であると思った。

スコセッシの新作を、言葉が分からないなりによく観ていると、観客の笑いが起きるシーンは、ボブ・ディランが何かに対して辛辣な意見を述べる、その言葉、つまり「批評」に反応しているようなのだ。他の出演者のシーンでも、そうなのだ。言葉=批評に反応している。日本のドキュメンタリーでも、言葉に観客が反応してはいる。しかし、冷静で論理的な言葉=批評というより、言葉に濃密な感情が込められている場合が圧倒的に多いように思う。日本の観客は、言葉に込められた感情に共感し、感情を吐き出す主人公の生き様、死に様に共感している、そんなふうに思うのだ。

20年以上も前に、そんなことを考えていたなあ、と私はスコセッシの作品を観ながら思い出していた。そんなアメリカのドキュメンタリー観を抱いている私にとって、この作品は典型的なアメリカのドキュメンタリーだと感じられたのだ。

いや、もちろん全てのアメリカのドキュメンタリーがそうだとは言い切れないだろう。私が知らない作品、作家が存在するかもしれない。そんなことを考えていると、改めてアメリカのドキュメンタリーを研究してみたい気持ちが、私の中で浮上してきた。

スコセッシの秘蔵コレクション

実は、マーティン・スコセッシ監督とは過去に一度、会っている。1992年に1年間NYに滞在していた時に、「ゆきゆきて、神軍」と「極私的エロス・恋歌1974」がNYで上映され、その紹介記事が新聞に掲載された。すると、スコセッシから手紙が届いた。「あなたの映画を観に行きたかったが、忙しくて行けなかった。だからあなたの作品のテープを貸してくれないか」と書かれていた。私はVHSテープを送ってあげた。しばらくして彼から、また手紙が届いた。「こんな映画を誰も作ったことがない。こんな映画を誰も観たことがない」と感想が書かれていた。続けて「私のオフィスに来ないか」と書いてあった。私は遠慮なく訪問することにした。

セントラルパークのそばの10階建てビルの、たしか6階だったと思う。フロア全部を彼が使用しているという。彼専用の試写室を見せてくれたが、豪華な椅子がゆったりと広めにレイアウトされていた。はあ、こんな環境でラッシュを見て作品を作り上げているんだと驚き、さすがアメリカの映画産業はビッグビジネスなんだ、と感心した。この時、スコセッシは、私が日本人であることを意識したのか、遠藤周作の『沈黙』をぜひ映画化したいんだ、と熱っぽく語っていた。

おもむろに、「あなたの作品のVHSを私にくれないか」と彼は切り出した。「私の映画コレクションに加えたいんだよ」と。そしてVHSが所狭しと並べられているスペースに案内してくれた。ぎっしりと、世界の名作、傑作、話題作のVHSテープが並んでいた。彼が映画青年であることは聞いていたが、なるほど、と私は納得した。「エリア・カザンとオリヴァー・ストーンは、私の友人だから、あなたの映画を観るように伝えておくよ」とスコセッシは私に言ったが、実際に見せたかどうかは今もって分からない。

ヤンキー・スタジアム観戦記

H! スペクタクル! と、ご満悦な原監督

MoMA から課せられたミッションは、4日間だ。次のトロントまで2日間のオフ。MoMA としては4日間のミッションということで、4泊分のホテルを用意してくれた。だが、オフの2日間のホテルは自分たちで用意しなければならない。NYは物価が高い街だ。3人の2泊分のホテル代は、辛い。

どうしようかと悩んでいるときに、救いの手を差し出してくれたのは、雑誌『BOMB』(註1)の編集者だったジョナ・マックスだ。ケン・ジェイコブスと私の対談の企画を成立させた有能な若者だ。その彼が、自分の親に相談して、親の家に泊まっていい、と言ってくれたのだ。彼の親は大富豪とのことだった。ありがたい。立派なマンションの一室に泊めて頂けた。だが、その上にも欣喜雀躍したのが、彼が私たちをメジャーリーグの試合観戦に招待してくれるというのだ。ニューヨーク・ヤンキースvsニューヨーク・メッツの試合だ。興奮しないほうがおかしい。

初めて訪れるヤンキー・スタジアム。でっかい!私たちに用意してくれたのは、ニューヨーク・ヤンキースのブルペンの上のほうの、まさに上等な席。ここから見るスタジアムの全景を私は生涯忘れないだろう。おう! スペクタクル! と思わず口にした。夕方、日が暮れようとしている試合に頭の上から煌々と照らし出された照明の眩しさ。いつもTVでしか観戦してなかったが、実際に身を置いてみると、球場の立体感が、すごくリアルに感じられて圧倒された。観客たちの熱気でエネルギーがムンムンと立ち上っていた。

ジョナのお父さんが、何か欲しいものは、と聞いてきたので、遠慮なくメジャーリーグ観戦の3点セット、ポップコーン、ホットドッグ、生ビールをお願いします、と私。彼は笑いながら、その3点セットを買ってきてくれたのだ。いやあ、美味しかったこと。私はその味も、一生忘れることはないだろう。

さて試合のほうだが、ヤンキースがまるでやる気のないような試合運びで、一方的にメッツの大勝。10対4。9回の裏にソロホームランが出たのが、唯一の見せ場だった。私は、にわかヤンキースのファンになった気で、ヤンキースの帽子を急遽買って応援したが、残念だった。聞けば、この日はダブルヘッダーで昼の試合は田中マー君が登板して、ヤンキースが勝ったそうだ。それを聞いて、ますます悔しい思いをしたが、ま、仕方ないこと。ともあれ、メジャーリーグ初体験の夜は、興奮のうちに過ぎていった。

カナダ、トロントへ

 

トロントでのトークショー

昨夜の余韻を引きずりながらNYを後にして、カナダのトロントへ向かった。トロントは2回目だった。「神軍」が、ベルリン国際映画祭で「カリガリ映画賞」を受賞して注目が集まったのだろう、世界の国際映画祭で上映される機会が一気に増えた。その流れの一環で、1987年にトロントを訪れたのだ。

今回のイベントは、私のメモには、「Vertical Film Festival」(Innis at the College of University of Toronto)と書かれている。会場のトロント大学に着いて、私は驚いた。広大な大学構内(?)に、市街地の道路が、そのまんま、突っ切っている。つまり、ここからが大学ですよ、という仕切りがないのだ。これは、とても大事なことだと思う。市民たちの生活空間の地続きで大学が存在しているということは、権威ぶってもいないし、自由であることを意味している。会場のホールには、Innis at the Collegeという表記。主催者に聞いてみると、トロント大学の中にInnis College があるんです、という答え。つまり、Innis College のような小さな大学の集合体がトロント大学、ということらしい。

さて、上映のほうだが、今回はタイミングが悪かったようだ。実は、この日、6月14日。NBA(北米のプロ・バスケットボール・リーグ)の試合の日だったのだ。カナダのトロント・ラプターズとアメリカのゴールデンステート・ウォリアーズの試合。トロント・ラプターズが勝てば優勝が決まる日、ということで、映画鑑賞どころではないのだ。前日の「神軍」上映は、そこそこの観客数だったが、その夜は、やっと二桁に届いた程度。あまりの少なさに驚いて担当者になぜ? と聞いてみて、試合のことが分かったのだ。まあ、仕方ないなあ、と諦めるしかなかった。

そんな数少ない観客だったが、二人の中年の男性が、上映後に残って私に質問してきた。聞けば、カナダにアスベストスという地方都市があって、そこが町じゅうアスベストの被害にあった、という。私は、じっと耳を傾けていた。その町がカナダのどこに存在して、現地の関係者とコンタクトを取れる人の情報を聞いておくべきだったのだ(註2)。だが、なぜか私は、そこまで頭が回らなかった。今となっては、とても悔やまれる。
さてNBAの試合の結果は、114対110で、地元のトロント・ラプターズが勝利した。上映+トークが終わって、宿舎に向かう車で街の中心部を通り抜けるとき、試合に勝って優勝して歓喜する市民たちの熱気が街中を覆っていた。

(次号に続く)

註1……アメリカの季刊カルチャー誌。非営利団体により1981年から発行されている。

註2……原監督は、大阪・泉南アスベスト国家賠償訴訟の裁判闘争に8年間にわたって同行。2017年に長篇ドキュメンタリー「ニッポン国VS泉南石綿村」として発表した。

 

出展:『キネマ旬報』2019年9月上旬号より

 制作:キネマ旬報社


【筆者プロフィール】
原一男(はら・かずお)
映画監督。疾走プロダクション代表。1945年、山口県生まれ。
ゆきゆきて、神軍」(87)、「全身小説家」(94)等で知られる日本屈指のドキュメンタリスト。
新作「れいわ一揆」が待機中。

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