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“失恋依存症”の治し屋と、対象者の間に生まれる恋の行方は――『私たちは失いながら生きている』

ダ・ヴィンチNEWS

『私たちは失いながら生きている』(いぬじゅん/一迅社)

 失恋依存症――失恋したことを受け入れられず、深い喪失感により絶望に支配されていく症状。日常生活を営むことも困難になり、生きる気力を失くしてしまうほど深刻な状態になることもある。

53歳イケオジ×25歳ピュア女子の、見えない“愛”をめぐるラブストーリー『僕らに月は見えなくていい』

 様々な依存症に苦しむ人々を手助けする会社、「治し屋本舗」に所属する嶋村羽音。失恋依存症専門の治し屋として活躍する彼女の前に、新しい依頼がもたらされる。対象者、沢木聖人という人物の失恋依存症に取り組むことになるが、それによって、羽音自身のつらい記憶が呼び起こされてしまう……。

「奈良まちはじまり朝ごはん」シリーズ(スターツ出版)、『新卒ですが、介護の相談うけたまわります』(一迅社)など、キャラクター文芸界で大人気の作家・いぬじゅんさん。好評発売中の新作、『私たちは失いながら生きている』(一迅社)は、失恋の痛みをテーマにした異質のラブストーリーだ。

 羽音はかつて失恋依存症に陥り、それを克服した過去があった。自らの経験を生かして、悲恋に苦しむ人たちをたくさん救ってきたという自負がある。彼女は対象者にさりげなく接触し、その心に寄り添い、立ち直っていくまで親身になって支える。そして完全に治った時点で彼らの前から去っていく。

 羽音と対象者の関係は、たとえるなら医師と患者のようなもので、病が癒えたらそこで終了だ。どんなに親しくなったとしても、けっして友人にはなり得ないし、また、なってはいけない。まして恋人同士になるなんて以ての外だ。

 なのに、聖人に対してだけは、治し屋たるべくプロフェッショナルな対応をすることができない。

 それは彼の瞳が、昔の恋人の目とよく似た色をしているから。自分がひどく傷つけた挙句、失ってしまった愛していた人と同じ、深い悲しみの色。海の底の色のような果てしない蒼。

 そんな悲しい目をした聖人に、羽音は職務を超えて惹かれていく。それは同時に、脱却したはずの失恋依存症に再び向きあい、自分の心を見つめ直すことでもあった。

 作者は、これまで多くの著作の中で心の整え方を説いてきた。心を整えることで身体も整うことや、死や病、精神的な苦痛は心を整えることで緩和できることなどを。

 本作品では“失恋”という、誰にとっても覚えがあるであろう痛みをモチーフにして、それを描いている。

 羽音にとって聖人に恋することは、恋愛の楽しさや喜びよりも、苦しさや悲しさを反復させるものでしかない。治し屋という自身の正体を偽って彼に接している後ろめたさだけでなく、治し屋という職業への疑問さえも湧いてきて、この仕事を辞する決意を固める。

 治し屋としての“私”ではなく、ひとりの人間としての“私”になって、彼と出逢い直そう。そう決心した矢先に、羽音に驚愕の事実がもたらされる。

 その事実とは何か。そして羽音と聖人の失恋依存症は治るのか、それとも悪化してしまうのか……。

 題名が表しているように、大切なものを失いながら、それでも生きる彼らが選ぶラストシーンには、喪失の果ての再生がほのみえる。そこに、作者からのメッセージが込められている。

文=皆川ちか

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