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1499安打で去る田中賢介を惜しみ、あと少しで大台の記録達成だったレジェンドを振り返る(野手編)

野球太郎

1499安打で去る田中賢介を惜しみ、あと少しで大台の記録達成だったレジェンドを振り返る(野手編)

ここではそんな野手にスポットを当てて紹介していこう。

◎2000本にいちばん近い男

 野手の記録として、もっともベーシックなのが安打数。なかでも2000安打というのは、大きな節目となる。日本プロ野球史上、そこにもっとも接近し引退したのが飯田徳治だ。

 東京鉄道局から南海入りしたのが1947年。1957年には国鉄に移籍し、1963年までの現役生活で通算1978安打を放っている。飯田は俊足も武器で年間40盗塁以上を6回も達成(通算390盗塁)し、1957年には盗塁王を獲得。打線でも中軸を担っていて、史上初の「4番の盗塁王」とも言われる。残り22安打で大台到達だったが、ラスト2年は13安打(打率.119)、24安打(打率.209)と、数字が急激に低下しており、ここらが潮時だったのだろう。なお、打点も969、出場試合数も1965と、これらも区切りの数字に近かった。

◎最後はコーチ業がメインに

 通算1977安打で、2000安打には飯田に次ぐ近さだったのが東映フライヤーズ(現日本ハム)で活躍した毒島章一だ。桐生高から1954年にプロ入り、俊足巧打の外野手として、プロ18年間でシーズン100安打以上を12回記録するなどヒットを量産した。また足もあり、通算191盗塁を決め、106本の三塁打は福本豊(元阪急ほか)の115本に次ぐ歴代2位でもある。

 晩年はコーチも兼任しており、とくに現役ラストとなった1971年はコーチとしての活動がメイン。4試合に出場した記録が残っているが、これはすべて偵察要員(予告先発がなかった時代に、出ない選手をオーダーに入れておき、試合が始まると相手に先発投手に合わせた選手を起用する作戦)での起用。この時期は名球会発足前でもあり、2000安打という節目に現在ほどこだわりが持たれていなかったのかもしれない。

◎日本で一番走った選手

 通算1065盗塁で、ダントツ1位の記録を保持している福本豊(2位は596盗塁の広瀬叔功)。そんな福本も、大台手前でストップしてしまった数字がある。それが盗塁刺299だ。ただ、さすがにマイナスの記録だけに「あと一つアウトになっていれば…」と考えたことは、おそらくなかっただろう。

 なお、この盗塁刺記録ももちろん歴代1位。ということは、当然ながら盗塁企図数も1位ということになる。つまり福本は、日本でいちばん盗塁を試み、そして成功させ、なおかついちばんアウトにもなった選手なのである。

◎無冠の帝王にもトップの記録あり

 新人王やベストナインに選ばれ、ゴールデン・グラブ賞を受賞しているものの、打撃関連のタイトルには縁がなかったため、「無冠の帝王」とも呼ばれた清原和博(元西武ほか)。ただ、NPB公式サイトの歴代最高記録のコーナーで紹介されている「通算打撃部門・21項目」のうち、2項目でトップになっている。しかも、どちらもあと少しで大台到達だった。

 死球数は196で、誰よりも多くぶつけられている。あと4死球で区切りの数字だったが、死球は投手による部分がほとんど。本人がどうこうできる数字でもない。なお、2位は竹之内雅史(元阪神ほか)で、清原から大差の166。また、来季も現役の選手では、中島裕之(巨人)が134、糸井嘉男(阪神)が105、青木宣親(ヤクルト)が101。彼らの年齢を考えても、おそらく清原の数字を上回ることは難しいだろう。

 そしてもうひとつが三振だ。通算1955で、あと45三振で大台到達だった。すごい数字だが、こちらは死球と違って歴代トップが入れ替わる可能性はある。追いかけているのは中村剛也(西武)だ。ここまで1725三振(歴代3位)で、ここ4年でコンスタントに年間120三振前後を上乗せしてきている。通算三振数上位40選手のうち、三振数が出場試合数を上回っているのは中村とブライアント(元近鉄ほか)だけ。来年の8月には37歳となる中村の三振にも注目だ。

文=藤山剣(ふじやま・けん)

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