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渡辺秀武、坂井勝二、仁科時成&東尾修「20世紀の“もっともあぶない投手”列伝」/プロ野球20世紀の男たち

週刊ベースボールONLINE

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

与死球トップ10にサブマリンが6人



大洋・坂井勝二

 文字どおり、時には打者の生命さえも危険にさらす死球。遅くとも100キロを超える球をぶつけられたにもかかわらず、打者は一塁へ出塁する権利しか与えられず、それで骨折して戦線を離脱することにでもなろうものなら、まさに骨折り損のくたびれもうけ。一方、投手にとっては敬遠したのと同じ状況になるだけで、ぶつける相手さえ間違えなければ(?)追いかけ回されることもない。痛い、痛くないというだけでも、打者にとっては、やっぱり損だ。

 一方、痛くないからといって、投手にも得はない。原則的に死球は“事故”であり、投手と打者の間には、「ぶつけない」という前提に立った、フワッとした信頼関係のようなものがある。ただ、それでも“事故”は起きるものだ。投手の側に立てば、制球力に難がある場合は別としても、強気に打者の内角を攻めれば、“事故”のリスクは高まる。打者に打ち気がなければいいが、外角球と読んで踏み込みでもしたら、かなりの確率で“加害者”となってしまうだろう。

 20世紀のプロ野球には、死球を積み上げながらも、それでも厳しく打者の内角を攻め続けた投手たちがいた。21世紀に入って20年になろうとしている現在、通算死球のトップ10には右腕ばかりで、20世紀の投手たちがズラリ。そのうち6人がサブマリンだ。阪急の山田久志と足立光宏が6位と7位に並び、近鉄で完全試合を達成した佐々木宏一郎が9位にいるが、いずれも実働は20年を超えている。

 実働18年で、彼らより10以上も多い通算143死球を与え、長く“与死球王”の座にいたのが坂井勝二だ。チームが大毎から東京になった1964年に自己最多の25勝を挙げたアンダースローで、バッテリーを組んだ谷本稔は「死球の後に外角を要求すると首を振る。そこで内角を要求すると、いいコースに球が来る。あいつの神経は特製だよ」と振り返る。

 シーズン“与死球王”は3度。ポーカーフェースのまま5秒で1球を投げるクイック投法で打者を翻弄、70年に大洋へ移籍すると、“読みの野球”を得意とするV9巨人を苦しめ、主軸の王貞治、長嶋茂雄ら“ON”も1球ごとにタイムをかけて打席を外すなど対策に追われたが、そこから坂井は超スローボールを投げ込む余裕を見せている。

 坂井は67年に10日間のうちに2度もノーヒットノーランを逃しているが、同じく2度も「あと1人」でノーヒットノーランを逃したのが、76年オフに日本ハムで引退した坂井と入れ替わるように、77年にロッテの“後輩”となったサブマリンの仁科時成。シーズン“与死球王”は5度、最終的には「あと1死球」で坂井に届かない通算142与死球に終わったものの(?)、実働12年と与死球ペースは圧倒的だ。ちなみに、坂井と同じ3位タイには阪急ほかの“ガソリンタンク”米田哲也も並んでいるが、通算登板、投球回ともに別格で、“与死球率”は高くない。

恐怖のメリーちゃん?



巨人・渡辺秀武

 坂井と米田から“与死球王”の座を奪ったのが、V9巨人にいた渡辺秀武。穏やかな性格で、あだ名は“メリーちゃん”だったが、マウンドに立てば一変、長身からのアンダースローで打者にぶつけまくった。70年にはノーヒットノーランを含む自己最多の23勝でV6に貢献。シーズン“与死球王”は3度で、82年に広島で引退したが、引退登板で古葉竹識監督に「当てていいですか?」と許可をもらって堂々とぶつけ、通算143死球のプロ野球新記録を樹立して自らの引退に花を添えた(?)。

 ただ、現時点での“与死球王”はサブマリンではない。渡辺は生命線の外角球に対して打者を踏み込ませないために厳しく内角を攻めたが、“ケンカ投法”とも呼ばれた厳しい内角攻めが真骨頂だったのが西武の東尾修。内角への厳しいシュートと外角へのスライダーとのコンビネーションが生命線で、通算165与死球は群を抜いてトップだが、シーズン“与死球王”は70年代の2度のみで、“与死球率”も高くない。

 ちなみに防御率と同様に“与死球率”算出すると、東尾は0.36、渡辺は0.62、坂井は0.45、米田は0.25、仁科は0.70となっている。

写真=BBM

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