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梶原善「おもしろいことをやれ」三谷幸喜に誘われた役者人生

SmartFLASH

 

 東京・四谷の裏通り。「たいやきわかば」の店先に、俳優・梶原善(53)の姿があった。

 

「ここのたい焼きは、しっぽまでぎっしり、あんこが詰まっているんです。塩加減が絶妙で、最近は、あんこだけ買うことが多いですね」

 

「わかば」に通って、25年以上になる。建設現場でのアルバイトの帰りにバイクで立ち寄っては、たい焼きを2個ずつ食べた。そのころから変わらない味を求めて、いまもときどき訪れる。

 

 

「子供のころ、(松田)優作さんやショーケン(萩原健一)さんのドラマを観て『テレビや映画に出る人になりたいな』と。でも、いまこうしてやっていけるのは、ひと言で言えば、『運がよかったから』ですね。さまざまな偶然の出会いがきっかけで、道が開けてきたんです」

 

 岡山出身。岡山理科大学附属高校では、当初、少林寺拳法に打ち込んだが、稽古漬けの毎日にあえなく挫折。次に熱中したのが音楽だった。

 

「コミックバンドでしたが、わりとウケて、人前に出る快感を覚えてしまった(笑)。このとき、知り合ったのが、のちに忌野清志郎さんのバンドメンバーになる、山川のりをくん(53)でした。いま思えば運命の出会いでしたね」

 

 バンドではボーカルを担当。地元のテレビ番組にも出演した。だが、そのときはまだ、その後の運命を知るはずもない。高校卒業後、上京して入ったのが、服飾専門学校の「東京デザイナー学院」のスタイリスト科だった。

 

「両親に『役者になりたい』と言ったんですが、そんな雲を掴むような話、『いいよ』と言うわけがない。次に興味があったのが、洋服だったんです。ブランド全盛期で、男のスタイリストも活躍しはじめた時代でした。学校には2年間、ちゃんと通いましたよ」

 

 当時、梶原が住んでいたのは、渋谷区の笹塚だった。駅まで徒歩20分、四畳半の家賃は2万5000円。

 

「共同トイレの前に、なぜか『女人禁制』と書いてあって(笑)。その部屋は、学校の課題で洋服を作るのに狭すぎて、その後に何度か引っ越しましたが、風呂つきの部屋に住めるようになったのは、30歳手前でした」

 

 その後の人生を大きく変える出会いがあったのは、この笹塚時代だ。当時、下北沢の中華料理店「江戸っ子ラーメン□亭(□の字は王に民)」では、ミュージシャンや俳優を志す若者たちがアルバイトしていた。梶原も一時、バイトしたことがある。

 

「毎日2食たべられるし、給料は日払いでしたから、1週間食いつなぐことができた。当時好きだったのは、『北海ラーメン』。肉味噌ともやしに、バターがのっているんです」

 

「□亭(□の字は王に民)」には、山川や、山川の岡山時代のバンドの先輩で、のちにザ・ブルーハーツを結成する甲本ヒロト(56)、駆け出しの俳優だった松重豊(56)もいた。その松重に紹介されたのが、「東京サンシャインボーイズ」を主宰していた三谷幸喜(58)だった。

 

「松重さんはすでに、東京サンシャインボーイズに何度か出演していて、三谷さんに『岡山出身のへんな奴がいる』と、僕のことを話してくれていたんです。田舎の狭いつながりが、偶然の出会いによって広がっていったんです」

 

 

劇団公演での、三谷(左)と梶原

 

 三谷は梶原を「今度、舞台やるんだけどやってみる?」と軽い調子で誘った。

 

「正直、舞台にはあまり興味がなかったんですが、『人前に立てるならいいかな』と。それにしても、三谷さんは何を考えていたんでしょうね。岡山から出てきたばかりのズブの素人をいきなり使おうなんて、無責任すぎますよ(笑)」

 

 こうして1985年、三谷幸喜作・演出の『くたばれサンダース』に出演する。これが19歳での初舞台となった。

 

「取引先の会社を野球で接待する話で、僕が演じたのは、気の小さいサラリーマン。最初からいじられ役でした(笑)。

 

 このときの演技はひどかった。だって、僕のイントネーションは全部、岡山弁なんです。岡山弁って、語尾が上がるんですよ。『何しよんなら~』って。標準語でも『何してんだよ~』ってなっちゃって……」

 

 以来10年間、東京サンシャインボーイズに在籍し、1994年に劇団が充電期間に入ったあとも、三谷作品の常連に。

 

「三谷さんにはいつも、『とにかく出た瞬間に、何かおもしろいことをやれ』と言われていました。大声を出したり歌ったり、僕の演技が過剰だと言われるのは、そのせいかもしれません。

 

 三谷さんは怒ると怖いんですよ。怒鳴るんじゃなくて、ボソリと責めてくるから、逃げ場がない。でも、うまくいかないときは夜中に電話をかけてきて、『善はできるはずだ』と言ってくれるんです」

 

 子供のころから、テレビを観ても「主役より脇役に目がいった」という梶原。「名脇役」とも評される梶原自身は、どんな俳優を目指すのか。

 

「正直、『深夜ドラマで、主役とかやらせてもらえるといいなあ』なんて思うこともあります(笑)。

 

 でも、たぶん僕は、何も考えていないんです。これまでも行きあたりばったりで人に助けられてきましたから。大事なのは人とのつながり。やっぱりそれに尽きるんじゃないでしょうか」

 

 俳優デビューしてから34年。53歳になった。

 

「年も年なので、糖分を控えようとはしているんですが、どうしても甘いものが欲しいときってあるじゃないですか。そんなとき、『わかば』のあんこがあれば幸せになれるんです。7歳の息子は、たい焼きよりもカステラが好きなようですけど(笑)」

 

 心に染みついている、思い出の味だ。

 

かじはらぜん
1966年2月25日生まれ 岡山県出身 東京サンシャインボーイズを経て、幅広く活躍。2019年は映画『マスカレード・ホテル』(鈴木雅之監督)、『記憶にございません!』(三谷幸喜監督)などに出演

 

【SHOP DATA:たいやき わかば】
・住所/東京都新宿区若葉1-10
・営業時間/9:00~19:00(土曜は18:30、祝日は18:00まで) ・休日:日曜

 

※10月18日より11月4日まで、東京・俳優座劇場にて『~崩壊シリーズ~「派」』(作/演出・オークラ)に出演

 

(週刊FLASH 2019年9月24日号)

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