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【コラム】沖縄の目で沖縄を見るために 映画『米軍が最も恐れた男』

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 心の底の泉から湧き出すような言葉は、とめどない。伝聞やデータではなく、実体験を元に訴える演説は、力強く人々を導いていく。そんな言葉を紡ぐ国会議員を、最近見たことがあるだろうか? 沖縄の苦難の戦後を人々と共に歩み、自治の道を勝ち取りつつ、最後まで基地のある島を憂えた人、瀬長亀次郎を描いたドキュメンタリー、『米軍が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯』が公開された。

 貧しさ故の生活苦から離婚話にいたるまで、人々の悩みに耳を傾け「カメさん」と親しまれた瀬長は、2001年に94歳で亡くなるまで、230冊以上の日記を書き残した。これを端から読み解いた佐古忠彦監督は、周囲にいた人々の証言や米軍側の資料を丁寧に集め、瀬長の人生を追憶の彼方から汲み出した。そこで見えてくるのは、歴史であると同時に、不幸にも歴史になり切れず、今も続く沖縄の闘い。沖縄の“ため”という名目の統治も、常に基地を支える手段に成り下がっていることを見抜き、どんな圧政にも動じなかった瀬長の不屈の姿勢が、残された映像や証言の中で今も光を放っている。

 米占領下で旅券の申請を拒否され、被選挙権まではく奪されても、立候補し続けて民衆の心を捉え離さなかった瀬長だが、社会運動に身を投じたことで父親からは絶縁されて悩んでいた。それでも志を曲げずに歩んだ心の支えは、母親と高校時代の一人の恩師だ。

 「返還が目的ではなく、基地の維持が目的である」という直球の演説。当時の佐藤栄作首相との論戦について、佐古監督は「人間としてお互いを尊重しつつしっかり向き合う論戦」と評している。「アメリカが沖縄に政権を持っておるんです。瀬長君、百もご承知の上で私どもに困るようなお尋ねをされておる」というある意味とても正直な答弁をした後、佐藤は瀬長に、その著書を「貸してくれないか」と頼み、瀬長は「差し上げますよ」と応じたというエピソードも披露されている。

 24日、東京・渋谷のユーロスペースで、佐古監督とともに初日の舞台挨拶に立った瀬長の次女、内村千尋さんは、「子供の頃、自分をしかる父は怖かったが、日記の中に子供をしかった理由まで書いていたことを今回初めて知った。約束を守らない、差別的なことを言う、そういうことを決して許さなかった父を、今改めて理解している」と話した。

美しい沖縄の海と、緩やかなウチナーンチュの暮らし。そんな憧れの沖縄を作り守ってきた闘いの激しさ。瀬長の力強い言葉と坂本龍一の心にしみる音楽が、その両側面の輪郭を静かに描き出している。 

Text by coco.g

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