小島慶子 | 女を生きるよりも、自分を生きるということ。
小島慶子 | 女を生きるよりも、自分を生きるということ。
「アイドルアナにはなれなかった」という言葉を残してTBSを去り、ラジオやエッセイ、そして39歳にしてグラビア写真集に挑戦するなど、常に話題を集めてきた小島慶子さん。そんな小島慶子さんが処女小説に込めた想いとは。第4回は、自分をザワつかせるもののがあるとき、ザワつく自分の心の奥にこそ、自分が信じるものがあるというお話です。
小島慶子
私は、自分という女しか知らない。

――小説『わたしの神様』では、 “女性の生きづらさ”について深いところまで描かれていましたけれど、小島さん自身は、「女性であること」とどう付き合って生きていけばいいと思います?

小島慶子 (以下、小島)どうでしょう……。「私は女を1人しか知らない」と思っているといいんじゃないですかね。少なくとも私はそう思っています。

――女と言う生き物は、自分しか知らない?

小島はい。女子会が嫌いっていうのも、“女子”って名前をわざわざつけているのが嫌なんです。「女子とは!」とか「女はみんな○○である」みたいなひとまとめな考え方って違うと思うんです。生物学上、与えられた肉体は女性であるというだけで、自意識は人それぞれですよ。それを“女というもの”ってまとめようとする、過剰に女コンシャスにならないと安定しないメンタリティが怖いんだと思う(笑)。

小島慶子

――たしかに。「女ってこういうモノだから」みたいな考え方、言い方は呪縛ですよね。自分も縛るし、他人も傷つけるし。

小島そう思います。だから、「隣にも女と呼ばれる人がいるが、自分と同じだと思ってはいけない。私は私の身体と経験しか知らないんだから……」。そんな風に思っていれば、お互いシンドイ思いをしなくてもすむ気がします。
 でも、外の世界を理解しようとすると、結局、世間とか誰かのモノの見方に自分を近づけていくことになってしまうから。

――そうですね。

小島他人とまったく同じ体験をしても、人それぞれ見方やとらえ方はちがう。たとえ家族でも、見えている家族像や記憶はバラバラ。だから、何事も「何が真実かはわからないけれど、私にはこのようにしか見えなかった」というある種のあきらめを持つしかないです。それは、とても不自由で寂しいことですけど……。でも、私は私であることから逃れられないから。

――孤独なことですよね。

小島はい。でも、それでも必死に生きている。心も体もみんな違うのに、素晴らしい文学や映画に出会った時、テレビを見た時や誰かの話を聞いた時、「あ、同じだ!」と思ってしまう。もしかして、誰かとどこかでつながっているのかもしれない。孤独を生きながらも、人とつながる道はあるらしい……くらいの期待を抱いて生きていくしかないんだなぁって思う。
 希望という視点を持つことで、目の前のいけ好かない人やまったく話の合わない人のことも他人とは思えなくなるというか(笑)。永遠に仲良くなれなくても、私は私の、彼は彼の孤独を生きているという点は同じなんですよね。

絵になる人生なんてありえない!

――“自分の人生を生きるしかない”という孤独を受け入れたとしても、女性は、「子供を産まなきゃいけない」「幸せな結婚をしなきゃいけない」「若くて美しい女性こそ、価値がある」みたいな世間の価値観から自由になりきれない。何度も揺り戻され、悩んでしまいがちです。

小島そんなの誰も自由になれないんじゃないかなぁ? 他人から羨ましがられたい、世間から認められたい!みたいな自分の欲望って認めたくないけれど、制御しがたいですから。これだけ視覚的な情報に溢れた世界にいると、他人から見て、“絵になる自分”、“映像にして美しい人生”を探してしまう視点は誰もが持っているんじゃないかと思う。いわば無意識に自分を商品化してしまう視点ですね。観客がいなくても、他人の目に自分がどんなふうに映り、どう編集されているかを意識してしまうしんどさというか。

小島慶子

――そこは、小説の登場人物である女子アナたちも同じでしたね。

小島はい。ただ、こう見られたいという欲望にフォーカスして生きても幸せはない。だって、本来は“絵になる人生”なんてないですから。私は養老孟司先生と『絵になる子育てなんかない』っていう本を出したのですが、暮らしなんて本来、絵にならないんですよ。一生懸命生きていたら、キレイな絵になるわけがないです。結婚だって出産だって、自分の人生にとっては特別な瞬間でも、人に説明すると全然ドラマティックじゃないですから。

――なるほど。

小島あの小説の中で、誰もが納得する「女性」として生きることをやめたルイだけは、他人にどう見られたいかではなく、自分がどうありたいかを徹底的に考えてシフトして歩き始めるんです。だから、他者に対しても優しい。相手の「そうありたいのに叶わない苦しみ」に寄り添う視点をもつんです。

――ホントですね。雑誌やテレビで、仕事も家庭も美貌も完璧な同世代のモデルさんとか見ると、うらやましいっていうよりも、自己嫌悪に陥ったりしますけど(笑)。

小島私もありますよ~(笑)。ああ、きっとあれが多くの人が納得する「正解」なんだなと思い込んじゃう。とりあえず人にとやかく言われないためには、あれを目指せばいいんだな、とか。でも、それでその瞬間は生き延びられても、後々、選んだ「正解」が自分を不自由にすることも知っている。

――そうなんですよね。

小島「完璧な見え方」をいくら追いかけても、渇きは癒されないんですよね。お手本となる絵のほうに自分の求めている答え、つまり自分を安らかにするものがあるわけではなくて、たとえばきれいなママタレさんを見てザワザワする心のほうに“自分の神様”はいるんです。ザワザワを見つめてひも解いてみると、実は自分は何を大事にしているのか、何に憧れて、傷ついているのかがわかる。ああ、私がこのように世界を見たがるのは、こんな痛みや希望を抱えているからなんだ、っていう気づきがあるんじゃないかと思います。

――なるほど。“自分の神様”、つまり自分が信じたいものは、心の奥にある。

小島はい。だからね、この小説を読んでも、人によって反応が異なると思うんです。もし、すごくドロドロした気持ちになったり、何かの記憶が呼び覚まされたとしたら、その気持ちがどこから生まれたのかに関心を持つとよいかもしれません。それこそ、こんな話を書いた小島慶子をどう思うかでもいいです。嫌いなら嫌い、好きなら好きだと思いたいあなたの動機を見つめてみたら、おもしろいんじゃないかなと。

ロングヘアの感触を覚えておきたい

――小島さんは、女を生きると言うより、自分を生きている。だから、愚問かもしれないですけど、最後に。現在、42歳という人生半ばの年齢にさしかかって、女性として老いることは怖くないですか?

小島えっ?(笑)。もちろん、怖いですよ! 今日だってフォトフェイシャルしてきましたから(笑)。

――あははは。

小島でも、老いていくことは仕方ないとも思っています。だから、受け入れてできる範囲のことをやっていこうっていう。

――女性は、たとえ、仕事が順調で愛する夫や子供がいても老いることが怖いし、受け入れがたかったりする。それは何ででしょうね?

小島何でだろう。そういえば、私も日本に居る時は怖かったです。日本ではおばあちゃんのイメージって、わりとモノクロみたいな感じがあって。私もだんだんモノクロになって行くんだって思っていたんですけど……。でも、今はオーストラリアに住んでるんですけど、あっちに行ったら、いろんなおばあちゃんがいて、カラフルな印象なんですよ。海辺に行けばシワシワの体でも三角ビキニを着て普通に泳いでいるしね。ババアビキニは日常の光景(笑)。

――素敵(笑)。

小島日本だったら、私の中年子持ち水着写真集が「女は売り物に値する身体でないなら引っ込んでろ」という世間への嫌がらせとして成立するけど、オーストラリアではどんな年齢でもガリガリの体でもぷよぷよの体でも普通にビキニやミニのワンピースを着ているから、そんな異議申し立て、意味不明でしょうね。どこの浜にもいろんなビキニ、っていう光景を目の当たりにすると、年を取るのも楽しみになってきます。

小島慶子

――自由度が高いと励まされますよね。

小島それとね、最近、髪を伸ばしていて。今、人生最長なんです。高校3年生の時ものばしていたけど、当時の長さは乳首の上までくらい。今は乳首の下まであります。年齢を重ねた分、乳首の位置も下がっているから、あの頃よりかなり長いはず(笑)。

――あははは。

小島それで、何で伸ばしたかと言うと、40歳になった時、ヘアメイクさんに「40代半ばを過ぎると、女性は髪の毛が痩せて伸ばせなくなるんだよ」って聞いたから! 人生最後のチャンスと思って伸ばし始めて、今、最長まできたんです。いつかは短くするんだろうから、今のうちにこの感触を覚えておこうと思って。

――ロングヘアならではの重みとか手触りってありますよね。

小島オーストラリアの女子高生ってなぜかみんなとっても髪が長いんですよ。息子たちに聞いても、ボブやショートの子はすごく少ないらしい。たぶん、少女期からしばらく髪を切っていないと思うんです。それくらい長いの。彼女たちが集団で美しいロングヘアをなびかせているのを見て、ああやって女性としての開花を謳歌しているのだろうと思って。つまり身体感覚で「女の自意識」を脳に覚えさせるというか。

――なるほど。

小島私も、ああこれが女だったということを身体感覚で覚えておこうって思うんです。先日、新幹線のホームで風に吹かれた時に髪が重かったんですけど、髪の長さと重さって、伸ばした時間が形になったものですよね。その重さを後になって思い出しながら、「あの期間、確かに私は女だったんだな」って……思うんじゃないかな。

――いい話ですね。

小島年齢を重ねても女性は女性ですけど、いつかは、毎月あった生理も終わる。先輩方の話を聞くと、どうやら、私が今まで経験してきた女とは、違う女の体になっていくらしい。では、私はいったい何になるんだろうって。

小島慶子

――ええ。

小島もちろん、閉経後も楽しそうに生きている女性はたくさんいるから良いんです。でも今は、第二次性徴と出産を経てしばらく大きな変化のなかった体が、50代で不可逆的に変わってしまう前に、自分が覚え込んだ女の感触を存分に味わっておきたい。思い出作り、惜別のときですね。変化の時は、どんな感じがするのか、その変化を自分はどんな言葉で表現するのかも楽しみです。

構成:芳麗 撮影:加藤麻希

(更新日:2016年1月8日)

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