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“初代タイガーマスク”佐山サトル、最大のライバル故ダイナマイト・キッドを語る!

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昨年12月5日に急逝されました、ダイナマイト・キッド。初代タイガーマスクのデビュー戦の対戦相手であり、その後も最強のライバルとして世界中のプロレスファンを熱狂の渦に誘い込んだ伝説のプロレスラー。

3月15日(金)に開催されるダイナマイト・キッド追悼興行を目前に控え、初代タイガーマスク佐山サトルに話を聞いた。

――佐山さんが、ダイナマイト・キッドの名前を知ったのはいつでしょうか。

「(1980年)イギリス遠征していたときの会場での控室です。サミー・リーの時代ですね。どこの会場だったかはおぼえていないのですが、みんなが言っていたんですね。“ダイナマイトが帰ってくる!”“トミー(トーマス・ビリントン=キッドの本名)が帰ってくる!”って。それがダイナマイト・キッドだったんですね。すごい人気でした。なんでこんなに人気があるんだろうと、そのときは不思議でしたね。当時、ボクはダイナマイト・キッドというレスラーのことはまったく知らなかった。(海外修行で)メキシコからイギリスに移ってきたときですから」

――キッドがカナダに遠征し、イギリスに一時帰国したときのことだと思います。

「そうですね。みんなが話題にしているけど、ボクはわからなかった。そうしたら、あるレスラーが“サミーは(ダイナマイトを)知らないのか?”と言うんですよ。“日本でも活躍してるのに”って」

――当時はすでに国際プロレスに来日したあとですよね。

「そうでしょうね。ただボクはメキシコから海外に出ていたので、その頃に来日した外国人選手についてはまったく知らなかったんです。名前を聞いてどんな選手なんだろうと気にはなりましたけど、あそこまでの選手だとは思わなかったです。それだけ騒がれるんだからメインイベンターなんだろうなとは思いましたけどね」

――実際に姿を見たのは?

「これもまた、イギリスにいたときですね。どこかの控室に来たときに姿を見ました。これもどこの会場かはおぼえていないんですけど、控室を訪ねてきたんですよね。試合ではなかったです。試合を見たことはないです。ボクは試合に出たと思いますけど、ダイナマイトはそのときは試合ではなかったと思います」

――試合をしたことはありませんが、印象は?

「好青年ですね。好青年。みんながいいヤツだと言うんですね。すごい好かれてる選手だなと思いました。実際、その通りの性格でしたね」

―― 一時帰国後またカナダに戻ってしまうので、イギリスではほとんど接点がなかったですよね。

「そうですね。一回しか会ったことないですから」

――お互いベビーフェースですし、対戦する機会もなかった。

「なかったですね。そのときはまさか日本で対戦することになるとは思わなかったですし、そういったことはまったく考えていなかったです」

――1981年4月23日、佐山さんが日本に帰国し、蔵前国技館でタイガーマスクとしてのデビュー戦をおこなうわけですが、ダイナマイト・キッドが対戦相手と知ったのは?

「帰国命令が出て慌ただしかったですからね、イギリスにいるときではないと思います。おそらく、日本に帰ってきてからですね。ただ、相手がダイナマイトだと知ったときには、イギリスにいたアイツだなとは思いました。名前はよく聞いてましたからね」

――実際に姿を見ていかがでしたか。

「いい身体をしてるなと。ただ最初はそれくらいであまり印象には残っていないんです」

――タイガーマスクへの変身、自分のことで精一杯だったからでは?

「もちろん、そうなんですよ。相手のことを考える余裕なんてないです。リング上で対した瞬間も、そんなにイメージが沸かなかったですね。それよりも自分が馬鹿にされている、笑われている感じが、まわりからすごく伝わってきてたんですよ」

――デビュー戦でのマスク、マント姿から?

「ハイ。相手どころじゃない、恥ずかしくて早く帰りたいという思いだけでした」

――試合がはじまったとき、佐山さんはタイガーマスクになると意識して動いていたのか、それともサミー・リーの動きをそのままやっていたのか、どちらでしょうか。

「サミー・リーです。イギリスそのままのサミー・リー。見た目はタイガーマスクだけれども、自分はタイガーマスクにはなりきれていない。タイガーマスクがなんなのかわからないですから、サミー・リーの動きをそのまましたんです」

――ただ、その動きこそが衝撃的で、タイガーマスク出現の瞬間でもありました。

「そうだったんでしょうね」

――試合中のダイナマイト・キッドはいかがでしたか。

「いやあもうビックリしました。海外でもいろいろ試合をやってきましたけど、あんな選手は初めてでしたね。試合が進むにつれて、なんだコイツはって感じで。技のキレというんでしょうか、迫力というんでしょうかね。一発一発にかけるパンチ、キックの重さ。これがすごかった。長州(力)さんみたいな感じなんでしょうね。とにかくすごい迫力できたのでビックリ、圧倒されてました。気持ちの中では早く帰りたいと思っていたんですけど、同時になんだコイツはと圧倒されてた。闘っていくうちにどんどん圧倒されて」

――焦っていたと?

「焦りました、焦りました。あとになってすごい選手だったと感激したんですけど、試合をしている最中は焦りしかないですね」

――海外修行中に闘った選手でキッドに近いレスラーはいましたか。

「いや、いないですね。“ローラーボール”マーク・ロコ(初代ブラック・タイガー)も素晴らしい選手ですけど、攻め方、タイプが全然違います。ロコは次から次へと技を仕掛けてくるんですけど、ダイナマイトは一発一発のすごさでくる。普通、ああいう選手はバテるんですけど、まったくバテないでしたからね。どこまでやるんだコイツ、と思いながら闘っていました」

――相手のダイナマイト・キッドは、タイガーマスクが佐山さんだということはわかっていたのでしょうか。

「わかっていたと思います。サミー・リーだということはわかっていたと思います。ボクのことをサミーと呼んでましたし、イギリスで対戦したことはなかったけど、ボクについての噂は絶対に聞いているし、いろいろ現地で話を聞いていたみたいですよ」

――“初対戦”に向けて情報を収集していたと。

「そう思います。(タイガーとしての)ボクの動きはサミー・リーですから、その情報をもとに向かってきたのだと思いますよ」

――ダイナマイト・キッドの師匠はテッド・ベトレーという元レスラーです。ベトレーはタイガーマスクとも日本で対戦したスティーブ・ライトの師匠でもあります。ライトが一番弟子で、その成功からキッドを育てた経緯があります。

「なるほど。基本がしっかりしているというところで共通していますね。スティーブ・ライトさんは、ボクが若手の時代から日本に来ていた選手。大先輩です。ただ、ダイナマイトとそういうつながりがあったのは知らなかったです。でも言われてみると、確かに共通点があるような感じはしますね。ただ、動きに関しては違うんですよ。スティーブ・ライトさんとダイナマイトの動きはまるで違う。一発一発のすごさはダイナマイト。スティーブ・ライトさんは、技なんです。でもダイナマイトは技ではないんですよね。迫力なんです。まるで技を無視しているかのような一発ごとの迫力なんですよ。当時はわからず、あとからわかったことですけど、ダイナマイトはプロレスに命を懸けてる。つまり、プロレス度胸が最高なんです。バンプ(動き)もすごいですからね。いまはそういう選手っていないでしょう。命を懸けると言っても、いまのそれとは意味が違うんですね。最近のレスラーでも試合で命を懸ける瞬間はあると思います。が、それは危険な技をやるということ。キッドの場合、勝負をみせるためなんです。エルボー一発も命懸け。命を懸ける気持ちを全身で表現できる。ケンカを見せるプロみたいなところがありましたね。そこがいまのプロレスと違うところかなと思います」


初代タイガーマスク佐山サトル



――タイガーマスクとキッドはライバル関係を構築していきます。ライバルだと感じるようになったのはいつ頃からでしょうか。

「初戦はとにかく必死ですからね。ライバルになるだろうとか、そういう感じはまだなかったですね」

――第2戦は翌年、82年1月1日、後楽園ホールでのWWF認定ジュニアヘビー級王座決定戦。3度目が同じ月の28日、東京体育館でタイトルマッチの再戦をしています。

「元日の試合が、いい試合ではなかったんですよ。ボクが体調を壊していて」

――前年の12月に足をケガしてからの復帰戦でもありました。

「あまりいい試合ではなかったんですが、その次あたりからですかね。3回目のシングルあたりからじゃないかと思います。そのくらいからこのカードが軌道に乗ってきた感覚はあります。タイガーマスクの人気も出てきたし、ダイナマイトは本当にすごい選手でした」

――通算で7回シングルマッチをおこなっています。タイガー選手の5勝1敗1引き分け。とくに思い出深い試合は?

「デビュー戦と、(82年8月30日)ニューヨークでの試合。あと、(82年7月23日)金沢で反則負けになった試合も思い出深いですね」

――ニューヨークでの試合は、マディソン・スクエア・ガーデンでした。

「あの試合はボクがすごく緊張したんですよ。マディソンを試合前に見ちゃったんですよね」

――場内を、ですか。

「そうです。控室からパッと見てしまったんですよ。そしたらお客さんが満員で、ヒザがガクガク震えたんです。武者震いなのか、ビビって震えたのかわからないんですけど」

――日本の満員とはひと味違う感覚でしょうか。

「そうです。ニューヨークですからね、敵地と言ったら失礼ですけど、ふだんとは違いましたよね」

――ニューヨークでのダイナマイト・キッドはいかがでしたか。

「あのときもまた、すごい切れ味でしたね」

――金沢での試合は?

「フェンスアウトで反則負けになったことをおぼえています。タイガーマスクになって初めての負けだったので。まあ、ダイナマイトはボクがいつ負けてもおかしくない相手でしたから」

――キッドのほかにもタイガーマスクにはライバルがいました。キッド、ブラック・タイガー、小林邦昭が3大ライバルと言われます。

「みんなそれぞれ素晴らしいです。しかもそれぞれタイプが違う。ダイナマイトは一発一発が目立つ、身体もすごい。それで最大のライバルだと言われるんでしょうね。ライバルと言われる人はみんなすごいけど、なかでもダイナマイトはすごいライバルでしたよ」

――ダイナマイト・キッドと対戦するとき、なにか心構えのようなものはありましたか。

「もちろん、ありました。相手の動きに耐えるということでしょうね。そしてこっちも動きで負けないということですね。キレ負けしないということですかね。ダイナマイトの動きはキレがすごいですから、そのキレに負けないように動かないと。アイツはパワーでやってきてそのパワーにキレがある。ボクは技のキレで対抗するしかない。切れ味で負けないという意識ですよね」

――キレがあれば技の威力が増す。見る方からすれば、キレのある方が上位に見えます。

「自然とそうなりますよね。お互いにキレがあったと思うんですよ。それで負けてはいけないと対抗していました。たとえば小林邦昭さんとだったら、技の応酬。セメントのグチャグチャしたようなところで根性というんでしょうか。そういうところのせめぎ合いなんですよね。ダイナマイトは根性というよりもキレ。名前の通り、本当に爆発するような選手でした」

――ブラック・タイガーは?

「ブラック・タイガーは根性とキレ、両方持っているような。しかもネチネチ攻めてくる。次から次へとね。たとえてみると、ダイナマイトは雷、夕立みたいな感じなんですけど、ブラック・タイガーは梅雨みたいに長く時間をかけて。ただイギリスで闘っていたときはそうではなかったんですよ。イギリス時代はダイナマイトみたいな試合でした。だけど日本ではラウンド制ではないので闘い方を変えてきたんでしょうね。スタミナがすごいあったし、ブラック・タイガーは日本でやるようになってずいぶん変わったなあと思いました」

――暗闇の虎としてマスクを被ったことで、あえて変えてきたのかもしれません。

「そう思いますね。そこがマーク・ロコのすごいところですね」

――では、タイガーマスクがダイナマイト・キッドから得たものとはなんでしょうか。

「やっぱり迫力、キレの大切さ。技の一発一発の迫力ですよね。全部の技でそれをやってくるんですよ。一発一発に命を懸けている。そういうところで勉強になりましたね。また具体的にはツームストーンパイルドライバーからのダイビングヘッドバットという流れをもらいましたね。ダイナマイトの動きからか盗んだところもかなりありますよ」

――タイガームーブはダイナマイト・キッドから刺激を受けたものも多いと。

「多いですね。かなりあります。あそこまでの迫力は出せませんけども、かなり盗んだつもりです」

――ツームストーンパイルドライバー、ダイビングヘッドバットをやるようになったことについて、具体的なきっかけはあったのですか。

「仕返しみたいなところもあると思いますよ」

――やられたので、やり返した?

「そうです。いい技ですからね。やってみたら自分にもこのパターンは合ってると思えたので、ほかの選手との試合でも使うようになったんです。結果的に、タイガーマスクにピッタリの技だったと思います」

――そして昨年12月5日、まさに60歳の誕生日に亡くなられてしまったのですが。

「ある程度の覚悟はしていました。具合がよくないというのはかねてから聞いていましたから……。意識もあまりないと。でも、最後は家族に看取られてよかったかなと思いますね」

――弟家族ですね。

「ハイ」

――訃報の翌日、12月6日にリアルジャパン「原点回帰プロレス」の後楽園大会がありました。

「それも凄く不思議ですね。ダイナマイトは(セレモニーをおこなった後楽園に)いたと思います」

――全世界を通じても、リアルジャパンが追悼の10カウントゴングをおこなった最初の団体になりました。

「そうかもしれませんね。そこにも不思議な運命を感じます」

――ところで、キッドの2人の甥がプロレスデビューしたのですが。

「弟の息子ですか」

――ハイ。

「17歳と15歳? そうなるとまた、昔を思い出しますね。デイビーボーイ・スミスはデビュー当時すごい細かったんですけど、みるみるうちに大きくなっていったんですよ。ダイナマイトもデビュー当時はすごく細かったと聞いてますけど、彼もみるみるうちに大きくなっていった。なので、若い彼らが成長していくのも楽しみにしたいですよね」

――キッドは生前、甥っ子のデビューを弟のマークさんから聞かされ、実際に会っているそうです。ただ残念ながらライブで試合を見る夢は叶わなかった。それでもキッドの遺伝子は今後も彼らによって受け継がれていきそうです。昨年夏、練習の様子を見てきたのですが、すでにダイナマイト・キッドの動きに瓜二つの部分があります。とくに兄のトーマスはナチュラルにそっくりですよ。

「楽しみだなあ。それは、なによりもうれしいですね」


初代タイガーマスク 佐山サトル ストロングスタイルプロレス~“爆弾小僧”ダイナマイト・キッド追悼興行~



――リアルジャパンでは3月15日にあらためて追悼興行を開催しますが。

「やっぱりダイナマイトに捧げる、いい興行にしたいですよね。闘う選手たちもそういう気持ちの中でやってもらいたいと思います。やっぱり、プロレスは技以上に迫力、魂だと思うんですよね。そういうところを私たちは見習っていますよという試合を(出場選手たちに)してもらいたいなと思います」

――それこそがストロングスタイルですからね。

「そうです。ダイナマイトの迫力イコール、ストロングスタイルです。技だけがストロングスタイルではない。魂のこもったストロングスタイルを受け継いでもらえれば。そういった大会になればと思います」

――では、佐山さんにとってダイナマイト・キッドとは?

「ダイナマイトがいてくれたからタイガーマスクがいたんだということは、十分わかってます。やっぱり最大のライバルのひとりであり、彼の思いを我々が受け継いでいかなければいけない。プロレスに命を懸けていたダイナマイト。ダイナマイトの魂を引き継ぐ、それが一番求められることだと思います」

(聞き手・新井宏)

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