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18歳で人気ホスト、有名イベントサークル設立…“リア充”を極めた大学生、意外なその後

日刊SPA!

 大学生にして1日で何百万円も売り上げる人気ホストを経て、有名アーティストやモデルが集う大規模イベントの開催者となり、脚光を浴びた毎日。そんなカネと欲望にまみれた日々を早くに経験し、「10代のうちにすべてやりつくしてしまった」と振り返る男はその後、どんな社会人になったのか。“リア充の頂点”を極めた大学生のその後を聞いた。
◆「女のコと話したい」がきっかけで、ホストに転身

「高校時代までは、甲子園を目指す高校球児として、ごく普通の生活を送っていたんです」

 そう語る金子雄太氏は現在、人材会社で副社長として経営の一端を担っている。そんな金子氏の人生は大学進学のために関西から上京して、自身の環境は180度変わったという。

「高校時代までろくに女性と話をしたこともなかったので、『大学生になったからには、女性とちゃんと話せるようになりたい』と思っていたんです。そんなとき、渋谷でホストの勧誘を受けて。当時は風営法もゆるくて、未成年でもホストで働けたんですね。大学生活にもどこか物足りなさを感じていたし、ホストになれば女性と上手に話せるようになるのではと、18歳からホストとして働き始めました」

 昼は学校へ行き、夜はホストとして働く。そんな二重生活は、やりがいを感じるものだった。

「当時の僕は未成年で、お酒は飲めなかったので、なかなか売上が立てられなかったんです。でも、もとから負けず嫌いな性格で、がんばった分だけ順位も上がるのがうれしくて、盛り上げ役に徹して努力しました。最終的には、店内トップ3に入ってホスト看板に写真が載ったときは、本当にうれしかったですね」

◆芸能人やモデルを呼んで開催した、1200人のイベント

 10代にしてカネと欲望が渦巻くホスト世界を経験した金子氏だが、その後、また別の刺激的な世界へと足を踏み入れていく。

「大学に入って、初めてイベントサークルの存在を知ったんです。『東京の大学生は、六本木のクラブでイベントをやるのか!』と感動し、すぐにスタッフになりました。イベサーは『何人にチケットが売れるのか』が試される世界。スマホ4台を駆使して人脈を広げ、所属数か月にして100人以上のチケットを売りさばくようになりました。イベサー界隈では、『すごい新入生がいるらしい』と話題になっていたみたいです(笑)」

 新人離れした活躍ぶりに目をつけられて、その後、日本最大級の学生イベントサークルと呼ばれることになる「SEEK」の立ち上げにもかかわることに。

「SEEKのイベントは、大手メーカーのスポンサーがついたり、芸能人も頻繁に参加したり、動く金額も大きかったりと、規模がデカくて毎日が楽しかったですね。ほぼ毎日、六本木に“通勤”して、六本木の外国人の黒服たちとすっかり仲よくなりました。あと、チケットのバック代や固定給で、かれこれ毎月50万円くらい稼いでいたので、学生にしてはお金を持っていた。昼食時になると、大学の学食の券売機に1万円を入れて、みんなに『好きなモノ食え!』とおごりまくってました(笑)」

◆20歳を機に、イベントとホストの日々に別れを告げる

 しかし、そんな華やかな日々も、20歳直前で自ら終止符を打つことを決意した。

「ホストもイベントも、基本は夜が主戦場です。僕自身が夜型生活に疲れてしまって。ホストとしては1日400万円の売り上げ記録も作ったし、イベントでもファンキーモンキーベイビーズのファンキー加藤くんやトリンドル玲奈さん、マリエさんなど芸能人にも出てもらう1200人規模のイベントを横浜ベイサイドで開催できたし。『もうどちらもやり切ったかな』と思って、両方とも10代のうちに引退したんです」

 10代の最後までド派手な日々を過ごした後は、フルコミッションの営業マンとして新たなスタートを切ることに。

「昼の仕事でも夜と同じくらいの金額を稼ぎたいなと思って始めたのが、営業会社のインターンです。ここでもまた自分の競争心に火がついてしまって、気がつけば100人近くいる学生インターンの中で、ほぼ毎月営業トップになっていました。月収は100万円近くありましたね」

◆卒業後の選択肢は「就職」「子会社社長」「独立」

 そんな金子氏にも、やがて学生時代にも終わりがやってくる。卒業後の進路候補は3つ。「大手企業に就職する」「インターン先の会社の子会社社長として独立」、そして「完全に独立起業する」だった。

「結局、僕が選んだのは起業でした。どうせやるなら自分でゼロからやるほうが楽しそうだなと思ったんですよね。また、就活中も内定ももらったものの、面接官に『君は起業したほうがよいね。いや、うちに入ってくれるのなら入ってほしいけどね!』と言われたりもして、『自分は就職には向いてないかな』って(笑)」

 創業当初のビジネスは営業代行。個人宅への飛び込み営業はハードな印象があるが、その分、対価も大きかったとのこと。

「訪問営業は大変そうなイメージがありますが、20人の家に訪問したら1人か2人は契約が取れるので、数をこなせば自然と契約数は上がっていく。僕自身、創業当時は1日1人で250件は個人宅を訪問しました。でも、『やれば結果が出る』とわかってたので、全然苦じゃなかったです」

◆「センス」で片づけず、すごい人を真似し続ける

 現在では営業代行業から人材紹介業にシフトし、さらなる経営拡大に邁進している。学生時代から卒業後も成果を残し続ける秘訣を本人は「何事も“センス”で片づけないこと」だと分析する。

「うまくいかない人は、何事も『自分はセンスがないから』っていうんですよ。でも、これって言い訳。センスは時間をかけて紐解けば、意外と要素を分解できるし、再現可能です。僕の場合、新しい業界に飛び込んだら、そこで一番成果を出している人の発言、考え方、手帳の取り方まで全部を徹底的に真似します。たとえば、ホスト時代はナンバーワンの先輩に頼み込んで、その人の家に住み着きましたし、営業中には先輩のスーツのポケットにボイスレコーダーを入れさせてもらって、『その人がどうやって女の子を口説いているのか』『どうやって喜ばせているのか』を録音し、仕事終わりにその内容を聞き直していました。時間をかけて努力しさえすれば、センスは作れるし、成果は出せます」

 華やかな舞台を降りてからも活躍を続けた裏には地味で粘り強い努力があったようだ。

 
   

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