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『Rise of the Ronin』おいぬ様旅に出る!皆に見守られて神宮に向かった代参犬【ゲームで世界を観る#75】

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『Rise of the Ronin』のプレイヤーは長屋で猫と犬を飼うことができ、「貸し猫」と「こんぴら狗」の派遣形式でアイテムを入手します。プレイヤーは時間を置くだけでいい便利なシステムですが、犬が主もいないのに自力で参拝を達成できるのか疑問に思った人も多いでしょう。こんぴら狗だけでなく伊勢行きの「おかげ犬」など、犬に金品を持たせて各地の神宮に旅をさせる「代参犬(参宮犬)」は江戸時代の後半から現れ、実際に完遂した記録も残っています。

代参犬は歌川広重の浮世絵にも描かれました。「東海道五十三次(隷書版)」の「四日市」には鳥居の下で食べ物をもらう白い犬がいます。そのくらい代参犬は一般的な慣習でした。

犬の代参の前に、当時の旅事情についていくらか説明しておきましょう。伊勢神宮や金刀比羅宮など、江戸時代は名のある大社に詣でるのが大人気で、特に伊勢神宮の式年遷宮3回(60年)の翌年にあたるおかげ年に行く「おかげ参り」は別格で、行くためならなんでもやるというくらいには庶民が憧れる一生に一度の旅でした。参拝だけで無くそばに作られた歓楽街(遊郭あり)での遊びや、近畿周辺への観光も含めるのが一般的で、今で言う舞浜的なものとも言われています。村内や町民同士でお金を出し合う「講」を作り、一定額が貯まったら旅に出る団体ツアー的な形が多いのですが、その道のりは決して簡単ではありません。

江戸時代は幕府が全体を統括していると言っても、藩それぞれの独立性は強く、現在の隣の県へ行くのにもパスポート、つまり通行手形が必要でした。その厳しさを表す「入鉄砲に出女」という言葉があり、銃器の持ち込みと女性の関越えは執拗に取り調べが行われました。伊勢参りだけは例外的に緩和されましたが、資金と徒歩でかかる時間、なによりも追い剥ぎが多発するような治安状況もあって、実行するにはいくらか勇気がいるような環境でした。

そこで、行けない人の代わりに各地へ派遣された御師や講の代表者がその役を負い、参拝してお札を持ち帰ってくる「代参」という方法がありました。その役割を犬に担わせたのが「こんぴら狗」や「おかげ犬」なのです。ゲーム中と同様首に巾着を提げ、復路にはお札やお守りを入れて持ち帰ります。スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のように、伊勢参りの道中には「施行(せぎょう)」と呼ばれる参拝客への支援があり、印としてひしゃくをひとつ持っていけば事足りたとも言われます。この施行によっても徳を得られるということで、その発展として代参する犬の世話を皆が積極的に行ったと考えられます。

代参犬として残る最古の記録は、1771年の伊勢神宮にあります。山城(現京都)の高田善兵衛という人物の飼い犬で、当時の神官が日時を書き残していました(「明和続後神異記」)。出発地と行き先を記した者を持たせておけば、それを見て向かう方向に導いてもらえました。そのため、犬だけで行ったのではなく、時には付き添ってもらいながら、多くの人に見守られて長い往復の道のりを進んでいたのです。

しかし完遂できるかはまた別で、その多くは失敗したり行方不明になったと思われます。逆に成功した場合は石碑が建てられるほどで、それほど多くはないものの各地に代参犬の話が伝えられてきました。代参の完遂で遂有名なのは、福島から伊勢に向かった「シロ」。須賀川市の十念寺にその石像が納められています。寛政の頃、須賀川の庄屋である市原貞右衛門綱は毎年伊勢参りをしていましたが、ある年に病気になって行けなくなってしまい、飼っていた「シロ」に代参を任せることにしました。白はお使いをよく頼まれるほど利口だったらしく、2ヶ月かけて無事お札を持ち帰ったそうです。

他にも、1831年のおかげ年を記録した「御陰参宮文政神異記」には阿波からやってきた「おさん」、萩藩の「諸事小々控」など複数の公文書には、1813年に藩が飼っていた「赤まだら女犬」がひとりでに伊勢に向かい、帰りにはかごに乗せられて戻ってきた、などの例が残ります。

明治以降は犬の管理が厳しくなり、代参犬の文化はそこで途絶えました。現代ではキャラクターマスコットとなってかつての風習を親しみやすく伝えてくれます。伊勢神宮周辺ではしめ縄と巾着のおかげ犬キットが販売されているので、愛犬と詣でる際は利用してみてはいかがでしょうか。

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