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マイケル・リンゼイ=ホッグ監督、ザ・ビートルズの魅力を語る「ビートルズが世界を変えた」<ザ・ビートルズ: Let It Be>

WEBザテレビジョン

ザ・ビートルズ解散までの歩みを描いた1970年製作のドキュメンタリー映画「ザ・ビートルズ: Let It Be」が、5月8日(水)よりにディズニー公式動画配信サービス「Disney+ (ディズニープラス)」のコンテンツブランド「スター」にて独占配信される。

このたび、本作を手がけたマイケル・リンゼイ=ホッグ監督のインタビューが到着。監督を務めることになった経緯や、ザ・ビートルズが半世紀以上にわたって人々を魅了し続ける理由、名曲が誕生する瞬間に立ち会ったからこそ感じた思いなどが語られた。


■監督が本作に関わった経緯「すべての始まりは『ヘイ・ジュード』のビデオだった」

――この映画が50年以上の時を経て、ついにストリーミング配信されることについてどう思いますか?

素晴らしい出来事です。なぜなら、長い間、もう公開されることはないと思っていたんです。僕はずっと公開されるべきだと主張してきました。ほとんど公開されかけたこともありましたが、それがなくなって、また(その後も)公開されることがなく、悲しかったです。

僕はこの作品をとても誇りに思っています。僕たちは(この作品で)、1960年代初頭に私たちを夢中にさせた輝かしいビートルズから、30歳を間近に控えた男たちへと変わりつつある、自分たちの人生で特別な時期にいるビートルズを捉えたんです。

あの屋上(で行った「ルーフトップ・コンサート」)はある意味、彼らのお別れなんです。でも、彼らは屋上でとても楽しい時間を過ごしました。昔のロックンロールの本能が、ティーンエイジャーの頃からの演奏の仕方が、再び戻ってきたんです。彼らはそれが最後のコンサートだとは知りませんでした。でも、屋上で彼らが本当に楽しんでいるのを見ることが出来ます。



――1969年に「ザ・ビートルズ: Let It Be」を監督することになった経緯を教えてください。

すべての始まりは1968年にやった「ヘイ・ジュード」のビデオだったんです。コーラスを補強するために、僕たちは何人かの人たち、観衆、観客を呼びました。ビートルズはその観客のために演奏を始めたんです。そしてそれは、1966年に彼らがツアーを中止して以来、観客の前で一緒に演奏する初めてのことでした。そして彼らはそれを楽しんだんです。

それから数週間後、ポール・マッカートニーから電話がかかってきて、アップルで彼とジョンに会わないかと誘われました。そして、ポールはこう言ったんです。「この間、観客の前で演奏して楽しかったんだ。僕らは66年以来ツアーをしていない。でも、またコンサートができないかと考えていたんだ。一緒にやってくれないか?」と。それで僕はイエスと答えたんです。

最初はビートルズがどこかでコンサートのように演奏する予定でした。そして、グループ内のさまざまな変化やさまざまなアイディアのせいで、コンサートというアイディアを止めて、ドキュメンタリーになったんです。

そして僕は、そのドキュメンタリーに結末をもたせたかったんです。それ(作品)が向かう場所が欲しかった。それで僕が「屋上でやるのはどうだろう?」と言ったら、彼らも「屋上でやろうか」と言い、それが「ルーフトップ・コンサート」になったんです(笑)。

■「4人の少年がアメリカと世界に再び喜びを与えた」

――「ザ・ビートルズ: Let It Be」や「ザ・ビートルズ:Get Back」のライブ・パフォーマンスのドキュメンタリーが、50年以上たった今でも人々の心に響いている理由は何だと思いますか?

ビートルズが世界を変えたからだと思います。ロックンロール・ミュージシャンは他にもいて、特にザ・ローリング・ストーンズやザ・キンクス、ザ・フーは大きな影響を与えました。でも、ビートルズが最初だったんです。

彼らにとって非常に重要な出来事のひとつは、1964年初頭、ケネディ大統領が暗殺された3ヵ月後に、彼らがアメリカにやってきたことなんです。(その当時)アメリカは深い憂鬱に包まれていました。そして、ビートルズが「エド・サリヴァン・ショー」に出演したんです。そして突然、どこからともなく、リバプール出身のこの4人の少年がアメリカと世界に再び喜びを与えたんです。


■「彼らはおかしくて、思いやりがあって、才能があって、とても際立っていました」

――「ザ・ビートルズ: Let It Be」の撮影後、ビートルズのメンバーとこの映画について話したと思いますが、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴと、どんな話をしましたか?

1969年の6月だったと思うけど、彼らにラフカットを見せたんです。それからポールとジョン、リンダとヨーコと食事に出かけました。僕たちはみんな、この作品は制作途中の期待が持てそうな作品だと思っていました。そして、人々がワインを2、3本飲みながらするように、自分たちの人生や子供時代のこと、いろんなことについて話をしました。

それから僕は、彼らにファインカット(最終カット)を見せて、みんなが気に入ってくれました。(そして)みんなで食事をして、ディスコに行って踊って話したんです。でもその後、ご存知のように彼らは解散しました。彼らはすぐに解散したわけではなく、それは「レット・イット・ビー」とはまったく関係ありませんでした。ビジネス上の問題があったんです。

さっきも言いましたが、彼らは(ザ・ビートルズを)10代の頃から始めて、『レット・イット・ビー』をやる頃には、彼らの人生は(それぞれ)違う方向に向かっていました。私たちが19歳の時と29歳の時ではまるで違うように、彼らはとにかく変わっていったんです。(彼らが解散を選んだのは)そういうことだと思います。


――ビートルズが世界中の人々に与えた影響は本当に素晴らしいです。今でも人々を魅了し続けているビートルズの魅力は何だと思いますか?

ピーター(・ジャクソン監督)の「ザ・ビートルズ:Get Back」は多くの人に視聴されました。そして人々は、ビートルズが仕事をしているところに連れて行かれることに興奮していました。僕たちが「ザ・ビートルズ:Let It Be」の映像を撮影し、それが「ザ・ビートルズ:Get Back」にも使われたわけですが、僕たちがそれをやる前は、誰もビートルズのリハーサルを見たことはありませんでした。誰も、彼らが曲を作っているところを見たことはなかったんです。

そして、それ(作品)が、ビートルズがやっていることを見せることができるドキュメンタリーになった時、私はある種の責任を感じていました。今言ったように、彼らはそれまで誰にもリハーサルを見せたことがなかったからです。そして、そういったことの何が人々にとって重要だったかと言うと、その音楽とこの4人たちは、世界で最も有名な人たちだったんです。

1960年代の一時期、この4人の顔は後にも先にもないほど有名だったんです。そしてまた、彼らには提供するもの(作品)がありました。彼らはおかしくて、思いやりがあって、才能があって、とても際立っていました。だから、そういったことが、人々がまだ彼らに興味を持っている理由だと思います。


■「僕が彼らと会った頃の彼らは、ある意味、とても洗練されていました」

――あなたは彼らを間近で見ていましたが、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人が一緒になったとき、何か特別なものを感じましたか?他のバンドにはない特別な魅力があったと思いますか?

僕は1966年に彼らと仕事を始めたんですが、彼らは1958年か59年によく(ドイツの)ハンブルクに行って、赤線地帯で働きながら朝の5時まで演奏していた頃から「ビートルズ」だったんです。だから、僕が彼らと会った頃の彼らは、ある意味、とても洗練されていました。彼らは自分たちが何者なのか知っていたし、どうすればいいのかもわかっていました。

一方で、僕は彼らをすぐに知ることはできませんでした。彼らと交流するようになって、「ハイ、ポール、今日の調子はどう?」と言うわけですが、彼らはなかなか自分自身を100%見せませんでした。なぜなら、彼らの人生はとてもプレッシャーのあるものだったからです。

それから「ペイパーバック・ライター」と「レイン」のビデオを撮り、「ヘイ・ジュード」と「レボリューション」のビデオを撮った後、彼らは僕をより信頼するようになっていきました。というのも、彼らは必ずしも(周囲の人々を)信頼していたわけではなかったんです。

なぜなら、初期の頃は誰もが“ビートルズの一部”を欲しがっていたからです。それは、相手にはちょっとしたお金になることだったかもしれないし、あるいは、ただ近くにいたり、触れたり、彼らの傍にいるだけだったかもしれませんが、(そうしたことの連続で)彼らは時々(近づいてくる人間を)疑っていました。

しばらくして3~4回一緒に仕事をした後、彼らが僕に「レット・イット・ビー」を依頼した理由の一部は、僕を信頼していたからだと思います。そして彼らはまた、僕が彼らの望むことを完全に理解していて、僕が(その点を)考えずに提案することはないということを信頼していました。

そして僕は、「彼らの人生のこの時期に、彼らにとってベストなことは何か」を考えていました。そして僕が提案すると、彼らは「イエス、ノー、多分、何でもいいよ」と言うんです。でも、それは部分的には、信頼の問題でもあったと思います。


■映画のタイトルを「Let It Be」に決めた理由

――ポールが初めて「レット・イット・ビー」を歌い、演奏した時はどう感じましたか?この曲が不朽の名曲になるとすぐにわかりましたか?

そうだね。多分ね。僕たちはある時点では、(この作品を)「レット・イット・ビー」か「ゲット・バック」と呼ぶつもりでした。そして、「レット・イット・ビー」と呼ぶことに決めたんです。なぜなら、それはとても美しい曲でしたから。

「Mother Mary comes to me…(母親のメアリーが私のところにやってきて)」という彼にとってとても大切な母親のことを歌っているんです。イエスと言わないといけませんね。もしあなたがあの部屋にいて、僕と同じように初めてそれを聴いたとしたら、「クラシックだ。名曲だ」となっていたと思います。

※「Mother Mary comes to me」の部分は、よくある歌詞の和訳では「マリア様が降りてきて」となっている。しかし、ポールの母親の名前はメアリーで、マイケルはポールと親しかったため、ポールが亡くなった母親について歌っていると聞いていたと思われる。おそらく、ポールは自分の母親と聖母マリアの両方の意味でMother Maryと歌っていた。

 
   

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