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【ネタバレレビュー】「SHOGUN 将軍」圧巻の最終話へ。ついに明かされる、虎永が目指す地平

MOVIE WALKER PRESS

世界中でムーブメントとも言えるヒットを記録しているディズニープラス「スター」オリジナル作品、「SHOGUN 将軍」もついに最終回を迎えた。本作は、「関ヶ原の戦い」前夜を舞台に、長年ハリウッドで活躍をしてきた名優、真田広之がプロデュース・主演を務め、幾度の危機に見舞われながら絶大な権力を誇る“将軍”の座を目指す武将、吉井虎永の物語。歴史上の人物にインスパイアされた登場人物たちによる、濃密な人間ドラマ、駆け引きに騙し合いを徹底的な時代考証のもと描きだしてきた。窮地に追い込まれた虎永、イギリス人航海士、按針ことジョン・ブラックソーン(コズモ・ジャーヴィス)、運命に翻弄されるキリシタン、戸田鞠子(アンナ・サワイ)…彼らの運命はいかに?

MOVIE WALKER PRESSでは、「SHOGUN 将軍」の魅力を発信する特集企画を展開。多くのファンが期待と寂しさで迎えた最終第10話を、ライターの相馬学がレビューする。

※以降、ストーリーの核心に触れる記述を含みます。未見の方はご注意ください。

■鞠子の死が与えた影響は大きかった…

「SHOGUN 将軍」もこの1話で完結か、寂しいねえ…などと感傷に浸っている場合ではない。まずは第9話のラスト、爆破で吹っ飛んだ鞠子の安否確認をしないことには始まらない!ともかく、第9話の主役は圧倒的と言ってよいほど鞠子サマだった。大坂城に乗り込み、敵将、石堂和成(平岳大)との面会ではひるむことなく渡り合い、野郎相手に長刀(なぎなた)を振るい、これまでと見るや自害を決意する。あらゆる局面で命懸けである鞠子サマに、そりゃあ惚れるでしょ!

というわけで、見始めたこの第10話。第9話の鞠子サマは魅力的でかっこよかったし、それだけに死んで欲しくなかった。すなわち、気が付けば、観ているこちらも按針と同じ気持ちになっていたのだ。ともかく、この第10話で、傷心の按針は鞠子がなんのために死んだのか?ということと向き合わねばならなくなる。

鞠子の死に心をかき乱されるのは按針だけではない。間接的にではあるが鞠子の死の原因を作ってしまった武将、樫木藪重(浅野忠信)はすっかり放心状態で呆けている。石堂と密約を結ぼうとしての行動ではあったが、鞠子の死まではさすがに望んではいなかった。振り返れば藪重はシリーズを通じて、こういうポジションだ。主君の虎永には目的を知らされぬまま大坂脱出の手引きをさせられたし、虎永の息子、長門(倉悠貴)の暴走にも付き合わざるをえない。あちらの目上の人間を立てればこっちが立たず、こちらの目上の人間を立てればあっちが立たない。その繰り返し。ともかく、一見豪放な藪重にも愛すべき小市民キャラのような面があることを再確認した。

そして、これが鞠子の死がもたらした、もっとも重要なポイントだが、石堂の側についていた落葉の方(二階堂ふみ)はここにおよんでついに心変わりをする。亡き太閤の世継ぎの母である彼女を味方につければ、石堂は宿敵、虎永に対して謀反者というレッテルを張り、徹底的に攻めることができる。しかし彼女が組みしないとなると、石堂に味方する軍勢は大幅に減少し、戦力ダウンは免れない。鞠子の爆死の死因が石堂側にあるという事実のみが残るのだから、なおさらだ。

すなわち、この第10話は鞠子が自分の命と引き換えに、なにをなし遂げたのかを明らかにしていくエピソードであり、その業績の大きさには、ただただ驚くばかり。これは虎永に誰よりも忠義を尽くし、誰よりも理解していた彼女だからできたことだろう。天下をとり、戦のない世にするという主君の最終目標に、キリシタンの鞠子が共鳴していた事実は大きい。

■最終話で訪れる様々な“別れ”と続編への期待!

最終話にふさわしく舞台は大坂から、第1話の舞台、伊豆へと戻り、様々なエピソードが収束に向かう。一度は虎永のもとを離れた按針が再び虎永と対峙し、ハラキリ覚悟で村を惨状から救おうとするのは、鞠子スピリッツが彼の心に芽生えた表われか。そもそもはプロテスタントとしてカトリックを相手に海の覇権を争っていたイギリス人の按針が過酷な経験を経て、虎永の前で“ワタシノイクサ、ツマラヌイクサ”とたどたどしい日本語で訴える場面にグッときた。

按針が正室、藤(穂志もえか)と別れる一連のエピソードも涙ナシでは見られない。日本語をまじえ、英語で語る按針と、英語がわからない藤とのやりとりはスリリングではあるが、そこに通じ合ったものを確かに感じさせる、俳優たちの演技がすばらしい。彼らの最後の共演場面である、船の上での2人だけのやりとりも胸にこみあげてくるものがある。

虎永と、切腹を命じられた藪重の主従関係も、ここに終焉を迎える。先にも述べたように、藪重はつねに主君の目的を知らぬまま動かされてきた。切腹を前にして、虎永が描いてきた未来を見たかったと語る藪重。これは命乞いでもなんでもなく、純粋な本音だろう。虎永役の真田広之と藪重役の浅野忠信は共演経験も豊富で、製作を兼任した真田によれば、浅野にとにかく自由に演じて欲しかったという。それはこの死別のシーンでも変わらず、死を前にしてなお藪重に悲壮感が見えないのは、浅野がシリーズを通じて藪重にあたえてきたバイタリティのおかげだろう。

そして、もちろん虎永の天下取りの物語もこれにて一応の終幕となる。石堂と戦うことは目的達成の一過程に過ぎない。これまでに実行してきた様々な策はその先にある、戦のない太平の世を作るため。正直なところ、どこまでが虎永の策で、どこまでが偶然の産物であるのかはわからない。しかし、そんな大儀のために命を落とした者たち――7話の息子、長門、8話の腹心、戸田広松(西岡徳馬)、9話の鞠子――を無駄死にさせまいとする強い意志にアツいものを覚えずにいられない。

かくのごとく、エモさもピークに達する完結話。え、完結!?もっと観たいぞ。そりゃあジェームズ・クラベルの原作にも限度はある。しかし日本には江戸幕府の始まり、すなわち虎永(=徳川家康)が国のてっぺんに上り詰めるまでの歴史があるじゃないか!決して、続きを作ろうと思えば作れない物語ではない。関ヶ原の戦いをチラ見せに留めたのは、シーズン2への布石に違いない。ついでにシーズン3では大坂の陣まで行ってみよう!…そんな妄想にとらわれてしまうほど、筆者は「SHOGUN 将軍」ロスにとらわれている。

文/相馬学

※西岡徳馬の「徳」は旧字体が正式表記
 
   

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