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米津玄師「さよーならまたいつか!」歌詞の意味を考察!朝ドラ「虎に翼」主題歌に込めた力強い想いとは?

UtaTen

強く飛べる力が欲しかった


2024年4月1日より放送のNHK連続テレビ小説『虎に翼』の主題歌は、米津玄師が書き下ろした楽曲『さよーならまたいつか!』です。

『虎に翼』は日本史上初めて女性として弁護士・裁判官・裁判長をそれぞれ務めた三淵嘉子の半生を題材に、伊藤沙莉演じる猪爪寅子を主人公にしたフィクション作品となっています。

▲米津玄師-さよーならまたいつか!【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

タイトルの「虎に翼」は中国の思想家・韓非子の言葉で、「鬼に金棒」と同様に強いものの上にさらに強さが加わるという意味があります。

激動の時代を生きる女性が法曹という翼を得て、時に悩みながらも力強く成長していく姿にぴったりのタイトルと言えるでしょう。

そんな女性の生き様にスポットを当てた朝ドラ作品の主題歌のオファーを受けた米津玄師は、「毎朝聴けるものを」と意気込んで制作したとのこと。

ドラマの初回放送で解禁され、「寅の日」の4月8日に配信リリースされた『さよーならまたいつか!』ではどのような想いが綴られているのか、さっそく歌詞の意味を考察していきましょう。



1番では、人の無知さや弱さに対する憂いの気持ちが込められているように思えます。

春は芽吹きの季節のため、希望や前進をイメージさせますよね。

「どこから春が巡り来るのか知らず知らず大人になった」というフレーズからは、未来の希望が見えずどうしていいか分からないでいる主人公の苦しみが伝わってくる気がします。

一方で、空には主人公の悩みなんて気にも留めず自由に飛び回る燕が見えます。

生まれ持った力や才能に恵まれている人を見ると、自分がちっぽけな存在に思えてくることを表しているのかもしれません。

続く部分にあるように、何気なく「もしもわたしに翼があれば」と想像したことがある方は多いでしょう。

しかし主人公はそう願えば願うほど自分の理想通りにいかない現実を痛感し、悲しみに暮れています。

自由に生きようともがいても、結果が伴わず打ちひしがれる気持ちが垣間見えます。

100年先で時代が変われば今の自分の努力が無駄ではなかったと思える日が来るのではないかと、期待している様子も窺えますね。

咲いていた「花が落ちた」ことや「誰かがわたしにうそをついた」こと、そして「土砂降り」はどれも人の気持ちを重くする出来事です。

しかし、そうした事柄に毎度傷ついていては先に進めません。

だから「構わず飛んでいく その力が欲しかった」と歌い、力を得ようとしたきっかけを語っています。

苦しくても春を目指して飛べ





失恋はほとんどの人が人生の中で経験するつらい出来事です。

愛し合える人を見つけたと思ったのに別れが訪れ、深く傷ついてはまた同じことを繰り返します。

続く「空に唾を吐く」は成句の「天に向かって唾を吐く」から取られていると考えられます。

「天に向かって唾を吐く」とは、人に害を与えようとしてかえって自分に災いを招くことのたとえで、自業自得を意味する言葉です。

自分が傷ついたことを周囲のせいにして、当たり散らしてしまうことがあるかもしれません。

それでも、その行動はいずれ自分の身に返ってきます。

次の「瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ」という力強い鼓舞の言葉は、自分に力を与えてくれない現状に対して不満を吐き出すのではなく、今の自分で誇り高く行動するよう自分自身に言い聞かせているメッセージのように感じます。

100年先は自分が生きているかも、自分の半生や想いが誰かに伝わっているかも分かりません。

それでも前向きに「さよーならまたいつか!」と未来へ思いを馳せる様子からは、主人公の笑顔が想像できるのではないでしょうか。



2番の「しぐるるやしぐるる町へ歩み入る」のフレーズは、種田山頭火の俳句「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」を模したものと思われます。

これは「時雨ている山に向かって入っていく」という意味があり、行く先に良くないことがあると分かっていても歩みを止めない愚直な想いが込められた俳句です。

これを現代に置き換えているため、「町へ歩み入る」と言い換えられていると解釈できるでしょう。

人混みの中を進めば「そこかしこで袖触れる」ものの、求める人とは出会えず悲しみを噛み締めていることが「ああ居なかった」という言葉から読み取れます。

その後に入る笑い声は、理想と現実との違いに対する諦めを表現しているようでもあり、現状がどうあろうと関係ないという考えの表れのようでもあって想像力を掻き立てます。

続く歌詞にあるように、周囲の人々は得意そうな「したり顔」で正義を気取って意見を言い、無視して通り過ぎれば「背中を殴りつける」ような的外れな言葉を投げつけてくることもあるでしょう。

そのような現代のSNS社会にも通じる情景の中でも、主人公は自分の信念を曲げず「触らないで」とはっきり対抗しています。

そして人々が地獄だと言って避けるものの先にこそ素晴らしい希望があると信じ、突き進もうとする凛とした背中が見える気がします。

虎のように自分の信念を貫く





人を愛することには、想いが通じ合わない悲しみや別れが身に降りかかるつらさから生じる痛みが伴うものです。

それは「雨霰」を浴びるかのように苦しい時間となるでしょう。

しかしそうした過去のトラウマや恐れは、自分の行動を止める足枷にしかなりません。

それで主人公は「繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる」と、自分自身を縛りつけているものを壊して自らを解き放とうとしています。

続く部分の「蓋し(けだし)」は「まさしく」という意味のため、獲物へと狙いを定めて走る虎のように自分の意思を貫けという想いを示していると考察できます。

遠い未来でも再び会いたい「あなた」への言葉に「消え失せるなよ」という荒っぽい表現をあえて使っているところに、主人公のさっぱりとした性格が感じ取れるでしょう。



今また恋に破れ傷ついたように、これから先もそんなつらい出来事がいくつも降りかかってくるはずです。

その中で自分も誰かを傷つけ、愛から遠ざかっていくような気持ちになることもあるでしょう。

それでも自分で自分の可能性を狭めず、今持っている小さな羽を広げて飛び立とうと行動することが大切です。

「生まれた日からわたしでいたんだ」という言葉の通り、私たちは誰もどれほど羨もうと他人に成り代わることはできません。

生まれた時に得た自分のまま、様々なものを得たり失ったりしながら成長し生きていくしかないのです。

だから自分を誇りに思って胸を張り、後にしたもの全てに「さよーならまたいつか!」と告げながら前向きに生きていこうと語りかけてきます。

新生活のスタートにぴったりの朝ドラ主題歌!


米津玄師の『さよーならまたいつか!』は、軽快で清廉な音楽としなやかなメロディが歌詞に綴られた力強いメッセージを優しく届けてくれる楽曲です。

シシヤマザキが描いたアニメーションの柔らかな色彩や心の内を垣間見せる瞳の表現とも相まって、ストーリーと歌詞のリンクが感じられるでしょう。

春の新生活のスタートに前向きな気持ちで進めるよう、この楽曲から力をもらってくださいね。
 
   

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