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「まいう~!」でブレイク!パパイヤ鈴木の今…大人気アイドルのダンス指導も:じっくり聞いタロウ

テレ東プラス


じっくり聞いタロウ~スター近況㊙報告~」(毎週木曜深夜0時)。3月28日(木)の放送では、振付師でタレントのパパイヤ鈴木が波瀾の人生を告白!

【動画】パパイヤ鈴木がダンス指導をした大人気アイドル

パパイヤは、ネプチューンが1999年に発売した2ndシングル「明日に向かって走れ!」のMVで振付を担当。パパイヤによれば、当時、MCの名倉潤はダンスでNGを出すことはなかったという。


パパイヤの振付で大バズりしたのが、2013年に指原莉乃がセンターを務めたAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」。作詞家の秋元康から「老若男女が踊れる振付」をオーダーされ、「全部ソウルのステップ。“オールドマン”という年を取ったお父さんがする杖を持ってするステップ」を取り入れたそう。
そんなパパイヤを一躍お茶の間の人気者にしたのが、グルメバラエティー「debuya」シリーズ。2000年、34歳の時にテレ東の深夜番組として放送開始された同番組は、ホンジャマカの石塚英彦らと日本各地の飲食店を巡り、食べたときの「まいう~!」が定番に。日本全国でマネをする人が続出した。

当初パパイヤは「debuya」への出演予定はなく、出演者の振付をオファーされただけだったが、打ち合わせで彼の100㎏超えの体型を見たプロデューサーに気に入られ、その場でスカウトされたそう。番組出演で大ブレイクしたパパイヤだが、その裏には波瀾の人生があったという。


西城秀樹に憧れ、歌手になりたかった彼は、17歳の時に念願のレコードデビューを果たすも鳴かず飛ばず。その後、歌手としてリズム感を養うために習っていたダンスの経験を活かし、20歳頃から振付師やダンス指導の仕事を始める。
ダンス指導では、高校生時代の渡辺満里奈にタップを教えていたとか。夫の名倉いわく「奥さん、いまだにタップやってます」とのこと。

テレビタレントとしてブレイクすることを夢見ながら、振付師として活動していた彼にとって、「debuya」の出演は絶好のチャンスだった。
番組は8年間続き、最後はゴールデン帯に進出。ちなみに、今ではすっかり浸透している「まいう~!」だが、番組で言い出したのはカワイ麻弓という女性タレントで、その場で生まれた造語ではないそうだ。

パパイヤを一躍人気者にした「debuya」シリーズは2008年に放送終了。番組でロケをした時の印象が強烈だったことから、彼は4年後の2012年に、家族を連れて沖縄に移住した。
都会の喧噪を離れ、約7年間移住生活を漫喫したが、進学した娘に合わせて、再び東京へ。今は沖縄と東京を行ったり来たりする生活を送っている。
 
 
   

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