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東映チャンネル:岡田茂生誕100年『東映映画 百花繚乱』

キネマ旬報WEB

 

「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」

岡田茂生誕100年に当たる今年、3月の東映チャンネルでは選りすぐりの17作を放映する。そこで彼の功績を作品と共に振り返ってみたい。

戦後の東映草創期

戦後の東映草創期から21世紀の初頭まで、東映はもとより日本映画界を牽引し続けてきた岡田茂、そのキャリアは「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」(50/関川秀雄監督)に始まる。

1947年に東映の前身・東横映画に入社した岡田は翌48年に製作主任に昇格し、戦没学生の遺稿集を基とする同作を企画し、周囲の反対を押し切って完成させ、結果は大ヒットとなった。実は岡田自身も学徒動員で召集され、多くの学友を戦争で失っていた。その鎮魂の思いを込めての映画化であった。映画そのものの内容はインパール作戦における学徒兵の悲劇と、学業時代の回想が描かれる。クライマックス、砲弾飛び交う戦場の真っただ中で、かつての教師と教え子が授業を始めるシーンも圧巻であった。

東京撮影所の現代アクション路線

1950年代半ば以降、東映京都撮影所が時代劇王国として明るく賑わう一方、現代劇を製作する東京撮影所は苦境に立たされていた。そこで1962年、東京撮影所所長に就任した岡田は、若手助監督を次々と監督デビューさせるなど、所内を活性化。その中の一人、深作欣二監督の「誇り高き挑戦」(62)が興行的に苦戦したことから、岡田は海外テレビドラマ『アンタッチャブル』を模倣したかのような「ギャング対Gメン」(62)を深作に撮らせ、これが成功したことから東京撮影所の現代アクション路線が活性化していく。

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「日本俠客伝」 時代劇から任俠映画路線へ

1964年、京都撮影所所長に復帰した岡田はスターの資質を引き出すことにも秀でていた。その一例が、それまでスターとして飛躍しきれてなかった高倉健を主演に据えた「日本俠客伝」(64/マキノ雅弘監督)の大成功だろう。いわゆる任俠の士たる主人公が敵対する悪しきやくざ組織を成敗する基本ストーリーで、これをシリーズ化させたあたりから東映は時代劇から任俠映画路線へ一気に舵を切ることにもなった。

1960年代、テレビの台頭で日本映画界が斜陽化していく中、岡田は時代劇などかつての東映の十八番路線をテレビに移行させ、逆に映画はテレビで放送できない〝不良性感度〟の高いものを作るべく腐心していく。その中には主演・梅宮辰夫の人気を不動のものとし、シリーズ化もされた猥雑な魅力極まるコミカル・アクション映画「不良番長」(68/野田幸男監督)も含まれている。

「徳川女系図」

東映ポルノ第1号ともいわれる「徳川女系図」(68/石井輝男監督)は大奥内の二大派閥の対立を背景に徳川五代将軍・綱吉の酒池肉林を描いたもので、こちらも異常性愛路線というスキャンダラスでエログロな話題を振り撒き続けていく。さらには実在のやくざ組織トップの半生を高倉健主演でヒロイックに描いた「山口組三代目」(73/山下耕作監督)のような実録路線も大いに物議を醸したが、こうした路線の影響で東映の映画館から女性客がすっかり消えてしまったのも事実ではあった。

 

「柳生一族の陰謀」 「社葬」

時代劇の復活

しかし1970年代後半、実録ものに陰りが出始めたこともあって、岡田茂は一度捨てた時代劇を「柳生一族の陰謀」(78)で復活させる。徳川三代将軍の座をめぐる骨肉の争いを徳川家光派・柳生但馬守宗矩を主軸に描いていく。主演の大スター萬屋錦之介にとって久々の東映時代劇だったこともあり、映画は大ヒット。以後、再び東映では定期的に時代劇が作られるようになっていった。やはり東映が生んだ大スター鶴田浩二が死去し、その葬儀委員長を岡田が務めたことが企画のヒントになったのが「社葬」(89/舛田利雄監督)である。大手新聞社社長の葬儀に伴う社内外の一筋縄ではいかないさまざまな人間模様をブラックユーモアたっぷりに描いた快作であった。

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