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夢グループ石田社長が激白!葛城ユキ「ラストステージ」の裏にあったドラマ「末期がんの辛さを微塵も出さず…」

アサ芸Biz

 僕が歌の仕事をしていくなかで、心から“この人と出会えて良かった”と思えた人。それが、2022年に腹膜がんで亡くなった葛城ユキさん(享年73)です。ハスキーボイスでエネルギッシュに歌う『ボヘミアン』は‘80年代を代表する大ヒット曲です。葛城さんは「夢スターコンサート」春チームのメインメンバーとして500回ほどコンサートに出演してもらいました。

 でもね、最初の頃は煙たい存在でございました。どんなところが煙たいかっていうと、彼女、酒豪なんです。コンサートが終わりますと、必ずお酒。しかも飲む量が半端じゃない。瓶ビールだったら20本ぐらい平気で飲んじゃう。しかも、飲み始めたら終わりがないんです。はじめのうちは僕も楽しくお付き合いして飲んでいたんですが、朝方近くまでとなるともうクタクタです。そのうち、地方にコンサートに行くと、駅前に数軒ある飲食店の外からそ~っと店内を覗きこみ、葛城さんがいるかいないか確認をして“いない! よし、ここにしよう”と、葛城さんを避けるようになりました。

 バツが悪いのは、たまに僕やスタッフらが先に入ったお店に葛城さんがやって来られた時。当然、彼女は僕の隣に座ります。そしてそこから延々と飲む、飲む。そんな葛城さんに、途中から愛想をつかしていたんです。ただ、やっぱりプロ根性は物凄い人ですから、どんなに深酒をしても朝はきちんと起きてコンサートではパンチの効いた歌声でお客様を魅了する。そこはたいしたものだなぁと常々思っておりました。

 病気が見つかったのは2021年のこと。お仕事を一緒にしているタレントさんたちが体調を崩されるという事態が重なったため、皆さんに人間ドックを受診するよう促したんです。それからしばらくしてコンサートに向かうバスの中で、彼女が「社長様、話があるんだけど」と声をかけてきました。

 葛城さんは僕のことをなぜだか「社長様」と呼ぶんです。そして……「人間ドックの結果、がんだったんだ」と、打ち明けられたのです。「良かったね、早期発見で見つかったんだから、すぐに治るよ」と、僕はあまり重く受け止めませんでした。ところが、末期の原発性腹膜がんで余命が1カ月だと医者から告げられたと聞いて、愕然。「葛城さん、冗談でしょ!?」と、言ったまま言葉を失ってしまいました。
 
 それでも手術で入院をする前に八戸でのコンサートに来てくれて、その日はさすがにお酒は飲まないだろうと思いきや、「しばらく飲めなくなっちゃうから」とグイグイ飲んでいました。その後、葛城さんは2回の手術を受け、退院した彼女から連絡がありました。

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「社長様、ステージで歌いたいんです」

 闘病を続ける葛城さんの体はひとまわり小さくなっていました。それでも千葉県で行われたコンサートの昼の部に車椅子で登場し、ベッド・ミドラーの名曲『ローズ』をしっとりと歌い上げたのです。もう、『ボヘミアン』を歌える力はありませんでした。

 歌い終わった葛城さんはぐったりとした様子でした。僕はマネージャーさんに病院に行った方がいいと伝え、車にいる葛城さんに「ありがとうね。よく頑張ったね。また病院で元気になったら戻ってきてね」と、見送りました。本心としてはあと数日、1週間もつだろうかという思いがありながらも、彼女の達成感に満ちあふれたキラキラとした瞳を見たら、そう言わずにはいられなかったんです。

 それから数時間後、「社長様、お願いです。もう1回だけステージに上がらせて下さい」と、葛城さんから連絡が入りました。てっきり病院に行ったと思っていた葛城さんとマネージャーさんは、夜の部の会場裏の駐車場に車を停めて待機していたんです。酸素マスクを吸引しながら「社長様、お願い、お願い」とすがる彼女の意志をなおざりにすることはできません。車椅子ごと彼女をステージへ上げて、急きょ、彼女のコーナーを作りました。さすがに歌を唄う事は出来ませんでしたが、お客様に「ありがとうございます」と何度も感謝の気持ちを伝えていました。

 それが、彼女のラストステージとなりました。生前から「亡くなる時は救急車を呼んで病院に行く」と言っていた葛城さん。その理由には賃貸住宅のため、大家さんや後に住む方に迷惑がかかってはいけないという彼女なりのポリシーがあったからです。ですから、コンサートの後も自宅へと帰って行きました。そして、1週間後の朝8時。とうとう僕に電話がかかってきたのです。

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