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まさかの“交代劇”…シーズン途中で休養を余儀なくされた監督5人。責任を取った指揮官たち

ベースボールチャンネル

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 長いプロ野球の歴史の中では、”名将”と呼ばれた指揮官が多く存在。近年も、オリックス・バファローズをリーグ3連覇に導いた中嶋聡監督などが、優れた手腕でチームを率い常勝軍団を築いている。一方で、成績不振によってシーズン途中で現場を離れる例もあった。そこで今回は、休養を余儀なくされた監督を紹介する。

 

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岡田彰布


出身:大阪府
投打:右投右打
身長/体重:175cm/77kg
生年月日:1957年11月25日
ドラフト:1979年ドラフト1位

 
 2023年から阪神の監督に復帰し、チームを38年ぶりとなる日本一に導いた岡田彰布。2005年にも阪神をリーグ優勝に導いたが、休養を余儀なくされた過去もあった。
 
 北陽高校(現:関大北陽)時代にエースで4番を任されていた岡田は、早稲田大学でも三冠王を獲得。その打棒をプロでも遺憾なく発揮し、入団から12年連続で二桁本塁打を放った。
 

 
 1995年限りで現役から退くと、2004年、阪神の歴史で初となる大阪出身の監督として就任。伝説となった「JFK」を構築し、2005年にセ・リーグ優勝を成し遂げた。
 
 また、2008年もチームは開幕から絶好調だったが、終盤の巨人の勢いが凄まじく、リーグ優勝をさらわれてしまった。岡田はこの年限りで監督の座から退くことに。
 
 2010年からは3年契約でオリックスの監督に就任。だが、契約最終年はシーズン序盤から歯車が噛み合わず、最下位が確定した9月末に休養が発表された。シーズン終了まで指揮を取る方針から一転、まさかの結末で監督としての職を終えることになった。

谷繁元信

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出身:広島県
投打:右投右打
身長/体重:176cm/81kg
生年月日:1970年12月21日
ドラフト:1988年ドラフト1位

 
 一時はプレイングマネージャーとして、選手兼監督という立場を担っていた谷繁元信も、休養を経験したことがある。
 
 江の川高校(現・石見智翠館)で通算42本塁打を記録し、強打の捕手として注目された谷繁。ドラフト1位で横浜大洋ホエールズ(現:DeNA)に入団した。
 

 
 魅力だったバッティングで苦しむシーズンもあったが、1996年に初の3割(.300)を達成し、1998年のリーグ優勝、日本一の立役者となった。
 
 2001年で横浜を退団し、2002年から中日へ。移籍1年目にキャリアハイの24本塁打を放つなど、打撃に加えてリード面でもチームを牽引した。
 
 2001年以来のBクラスに終わった2013年の雪辱を晴らすため、同年オフに選手兼任監督として就任。チームの再建という大役を任された。
 
 ところが、谷繁の就任後も苦しいチーム状況は変わらず、2016年8月に球団が谷繁の休養を発表。ベンチワークを含め全てがうまく機能しなかったことが、不振の要因とも指摘された。

高田繁


出身:大阪府
投打:右投右打
身長/体重:173cm/70kg
生年月日:1945年7月24日
ドラフト:1967年ドラフト1位

 
 日本ハム、ヤクルトの2球団で監督を務めた経験を持つのが高田繁だ。
 
 浪商高校(現・大体大浪商)卒業後は明治大学に進み、東京六大学リーグでベストナインを複数回獲得。リーグ戦通算で127安打を放つ活躍を見せ、巨人への入団が決まる。
 

 
 ルーキーイヤーに打率3割(.301)をマークし、その後は張本勲の加入で内野にコンバートされるも、走攻守で高い技術を見せ続けた。
 
 1980年で現役を引退すると、高田は1985年から4年間、日本ハムの監督を務めた。優勝こそ達成できなかった一方、2度のAクラス入りと最低限の成果を見せ、2008年にヤクルトの監督に就任。2009年にはチームをクライマックスシリーズに導いた 。
 
 ところが一転、2010年は苦しんだヤクルト。5月末の段階で大きく負け越したうえ、交流戦で9連敗という惨状。13勝32敗と浮上のきっかけが掴めなかった実情もあり、球団は「休養」と発表したが、事実上の辞任となった。

梨田昌孝

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