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球界から“追放”…プロ野球を失格処分となった歴代選手6人。厳罰が下された元NPB戦士たち

ベースボールチャンネル

 
 1963年に国鉄スワローズ(現:ヤクルト)へ入団すると、高卒2年目は127試合に出場。打率は.219と苦しい数字に終わったが、18本塁打を放ったように長打力を発揮していた。
 
 1965年以降はレギュラーから外れたものの、毎年90試合前後に出場するなど、一定の出番を得ていた。
 
 しかし、1970年に不振に陥ると、1971年から阪神タイガースに移籍。新天地で再起を図ったが、21試合で打率.097と結果を残せず二軍落ち。
 
 すると、同年7月に選手寮から行方をくらまし、失踪状態に。消息がわからないまま、現役中に失格処分を受けた。

池永正明


投打:右投右打
身長/体重:175cm/77kg
生年月日:1946年8月18日
経歴:下関商
 
 西鉄ライオンズ(現:西武)のエースとして活躍した池永正明。池永もまた、プロ野球を失格処分となった1人である。
 
 下関商業高校では選抜甲子園制覇を達成。その才能を多くの球団が評価し、読売ジャイアンツや南海ホークス(現:ソフトバンク)など複数球団による争奪戦の末、西鉄の一員となった。
 

 
 プロ1年目から20勝を挙げる働きで、チームの大黒柱に君臨。1967年には23勝を記録し、最多勝のタイトルを獲得するなど、まさに順風満帆の野球人生を送っていた。
 
 1969年も18勝11敗、防御率2.57と活躍を見せていた池永。しかし、八百長への関与が疑われ、否定したものの「黒い霧事件」に巻き込まれる形で失格処分を受けた。
 
 わずか6年間のプレーで103勝を挙げたが、まさかの形でプロ野球選手としてのキャリアを終えることになった。

 

 

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【了】

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