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初登頂と思ったのになんと平安時代に登ってた!日本山岳史の謎「剱岳山頂に錫杖と剣の遺物」

Japaaan

阿弥陀如来は、「乱れた世を救おうと、ずっと前からこの山でお前を待っていた。この山を開き、鎮護国家、衆生済度の霊山を築け」と告げ、立山は開山されて広く認知されていきます。立山は「あの世」と称され、「立山曼荼羅」には地獄と極楽が描かれました。その中で、地獄の険しい針山として描かれているのが「剱岳」です。

同じ平安時代の空海(弘法大師)が草鞋千足を費やしても登頂できなかった、という伝説があるほどです。空海と同時代の僧が、登山道も装備も道具も貧者な時代に、どのルートからどのように登ったのでしょうか。

実際に剣岳に登ったことのある筆者が、推測します。

 

立山からの別山尾根

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現在、立山室堂から剱岳に至るメインルート。一度剣沢という平地に下り、ここから「かにの横ばい、かにの縦ばい」など、数々の岩の絶壁を越えなければならなりません。

現在は鎖や鉄杭など足がかりがありますが、柴崎隊も別山尾根を諦めて長次郎谷(ちょうじろうたん)の雪渓を登り詰めたことから、容易ではありません。

剣沢から剱岳への往復は、筆者は7時間かかりました。一服剱や前劔と呼ばれる、一晩横たわることのできる平たい場所はあるにはありますが、夜露をしのげる岩屋はありませんでした。

北アルプス三大急登の早月尾根

早月尾根は山頂直下にでるまで、別山尾根ほどの難所や岩場の登下降はありません。ただこの尾根は現在「北アルプス三大急登」と呼ばれており、片道のコースタイムは9時間かかることもあり、稜線上は途中で水を汲める場所がありません。

ただ最初から尾根を登らずとも、立山川という川を遡って登り上げてから尾根に合流するという手もあります。その登り地点は「ハゲマンザイ」という場所なのでは?という仮説もありますが、そのハゲマンザイは現在の登山地図には載っていません。

利点としては水をたっぷり汲んでから登ることができるという点ですね。

また、どの季節に登ったかも重要です。残雪期(3、4月)であれば稜線上でも雪を溶かして水を作ることはできますし、夏であれば雪解け水は豊富です。ただ残雪期は雪崩や雪の踏み抜きの危険性があります。

夏は稜線上には水はなく、下からの携行をどうするかという問題があります。現在はたくさん水を携行する道具がありますが、平安時代はどうでしょうか。動物の革袋や竹筒では限度があったことでしょう。

また、夏は食糧が傷みやすいというデメリットもあります。春も夏もそれぞれの危険性がありますね。

結局どちらのルートも難しいですが、富山県側の方に岩峅寺や芦峅寺をはじめとした信仰登山の拠点があったこと、滑落の危険性がないことから、筆者は「早月尾根」側から入った可能性が高いのでは、と感じました。

他にもたくさんルートがありますが、雪渓を越えるなど難所があり現実的ではない気がしました。

名も無き登山者は、現代人よりも、自然に熟知した人物でかつ健脚だったのでしょう。人間の力に感嘆するとともに、現代人に果たしてそれだけの生きる力があるのか?考えさせられました。

参考:「剣岳信仰」をめぐる若干の考察(米原寛、2008年)
写真:山の写真はフォトAC以外はすべて筆者撮影

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