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銘酒「北の勝」酒蔵の創業者!日本で初めてカニ缶の製造に成功した男・碓氷勝三郎の生涯【その1】

Japaaan

今では蟹(かに)といえば、日本人には身近な冬の贅沢品ですが、もともと蟹は、食材として広く食べられていたものではありませんでした。

特に北海道の海鮮物を扱う漁師たちにとっての蟹は、鮭・鱒漁の網を這い上がる厄介者であり、水揚げしてから鮮度が落ちやすい上、現在のような保存方法もなかったため、近隣地域の漁師が自分たちで食べるものとしてのみ利用され、廃棄されるのが通常でした。

そうした中、1904(明治37)年に国後島を視察した、当時の北海道支庁長・高瀬深策が古釜布(ふるかまっぷ)湾内の鱒建網に上網する多くの蟹を漁師が投棄するのを心苦しく思い、蟹を、缶詰にして保存することを提唱しました。

元々根室では、1894(明治27)年の日清戦争を契機に、缶詰工業が軍需品として需要が拡大し、経済的な発展を遂げていました。

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新潟県与板町出身の碓氷(うすい)勝三郎の生家は、代々蝋燭と髪付油を製造していましたが、勝三郎が9歳のときに商売に失敗、倒産してしまいました。そんな状況の中、勝三郎は15歳のときに、家運の挽回を胸に抱いて、新潟の海産問屋に奉公に出ました。

生家の碓氷家は、1869(明治2)年に北海道の江差に移住しましたが、すぐに父親である吉六が死去、勝三郎は奉公の身であるため、直ぐにはかけつけられず、1875(明治8)年の5月になってようやく渡道し、家族と再会しました。

1876(明治9)年、根室に移り、戸長役場に雇われ、倹約に倹約を重ねて1年弱で30余円を貯蓄したといいます。

これを元手に雑貨行商となり、1年余りで300余円の利益をあげました。そして家族を呼び寄せ、花咲郡の志発(しぼつ)村というところで、昆布採集に従事。

さらに、1880(明治13)年、行商を辞め、雑貨商を開業し、資金の増殖に専念しました。1887(明治20)年、貯蓄が約3000円に達したことを契機に酒造業も兼営し、酒は「清泉」と命名されました。売れ行きも好調、順風満帆だと思われていたのです。

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