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阪神・村山昌史の涙の猛抗議/『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1963年編

週刊ベースボールONLINE

『よみがえる1958年─69年のプロ野球』第5弾、1963年編が11月29日に発売。その中の記事を時々掲載します。


『よみがえる1958年-69年のプロ野球』1963年編表紙

最高のピッチングのあとで


 好評いただいている『よみがえるプロ野球シリーズ』。今回は発売したばかりの1963年編から、阪神・村山昌史(実)の涙の抗議についての記事の一部を抜粋し、紹介しよう。



 8月11日の巨人戦ダブルヘッダー2試合目。肩を揺すりながら阪神・村山昌史がマウンドに向かう。敵地・後楽園ながら異常なほどの拍手が沸き起こった。

 前年王者の阪神ながら序盤は思わぬ低迷。その大きな要因が右手指血行障害で離脱した村山にあったことは間違いない。「実」から「昌史」にした自身だけではなく、家族も改名して巻き返しを期したが、6月に復帰したあとも症状が完治したわけではなく、よかったり、悪かったりを繰り返していた。

 しかし、ここに来て急激に調子を上げ、長く村山と組んできた捕手の山本哲也が8月8日、川崎のブルペンで村山の球を受け、「ものすごい球を放りよるのや。ワシ受けておって怖くなったよ」というほどの好調さを見せていた。

 実戦で、「これぞ村山!」というピッチングを見せたのが、前日10日の同カード(後楽園)だった。先発で8回をパーフェクトの快投。9回に代打・池沢義行にヒットを許すが、2安打8三振で完封勝利を飾っていた(1対0)。

 この日は、1対1の7回裏、阪神二番手の本間勝が一死二、三塁としたところでの登板。打席にはまたも代打・池沢だ。

 疲れも見せず気合の入ったピッチングを見せた村山はカウント2ボール2ストライクからの5球目、内角低めに自信を持ってストレートを投げ込んだ。池沢は腰を引いて見送るが、村山は「どうだ!」とばかりの顔をし、マウンドで跳ねる。

 しかし、次の瞬間、村山の顔はゆがみ、真っ青になってホームプレートに突進した。国友正一球審の「ボール」のコールが耳に飛び込んだからだ。

「どこがボールや。どこに目をつけているんや。ワシは命がけで投げているんや。あんたも命がけで判定してくれ」

 戸梶正夫捕手が間に入り、村山を止めたが、振り切り国友球審に迫る。このときに「殴るつもりではなく、村山君の突進を止めようとして」突き出した国友球審のインジケーターを持った左手が村山のあごのあたりに当たった。直後、国友球審はすぐ退場を命じた。

 村山はさらに興奮し、そのあともナインの制止を振り切り何度も国友球審に迫る。いつの間にか涙が流れ、「俺は、なにもしていない。殴られたのは俺なんだ」と叫んでいた。

 泣きじゃくる村山を必死に引き留めていたのが、59年、伝説の天覧試合でもバッテリーを組んだキャッチャーの山本哲也だ。村山は先輩の山本を兄のように慕った。

 阪神の藤本定義監督、青田昇コーチも激高。2人で国友球審をバックネットまで押し、腹を小突いた。

「あんたこそ退場だ!」と言う藤本監督に国友球審が「審判はケガでもない限り退場はできない」と言うと、青田コーチが「よし、それなら俺がケガをさせてやるから来い!」と怒鳴った。

 後楽園だからよかったが、甲子園でこの騒ぎが起こったら観客も巻き込む大暴動になっていたかもしれない。
 
   

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