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濱口竜介監督が『悪は存在しない』で見せた新たなメソッド。チケット即完の釜山国際映画祭スペシャルトークで解説

MOVIE WALKER PRESS

10月に行われた第28回釜山国際映画祭で、最新作『悪は存在しない』(2024年4月26日公開)の上映後に濱口竜介監督のスペシャルトークが行われた。映画祭会期後半の平日に行われたイベントながら、チケットは即時完売。わずか数枚の当日券のために100名以上が列をなすという人気ぶりだった。トークを終えた後に濱口監督は、「皆さんに映画(106分)よりも長いQ&Aにお付き合いいただき、とてもうれしかったです。今回は短い滞在でしたが、こうして釜山のお客さんと交流できたことはとても良い思い出になりました」と述べ、会場から大きな拍手が送られた。

『悪は存在しない』は、9月のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)と国際批評家連盟賞を受賞。以降、トロント映画祭、サン・セバスチャン映画祭、ニューヨーク映画祭、ロンドン映画祭、そして釜山映画祭などで上映され、11月26日の広島国際映画祭でジャパン・プレミアを迎えた。今作の制作経緯は、『ドライブ・マイ・カー』(21)で音楽監督を務めた石橋英子にライブ用映像を依頼されたことに端を発するという。「石橋さんとの仕事はとても満足のいくものでしたし、素晴らしいミュージシャンの彼女から依頼を受け、とても光栄でした。ちょうど『ドライブ・マイ・カー』も『偶然と想像』もひと段落し、次になにをすべきかよくわからないというタイミングでもありました。ライブ用の映像を、と言われてもよくわからなかったんですが、そのわからなさが魅力的で、自分を別の場所に導いてくれるような気がしてお受けしました」と語る。石橋が絶対的な信頼を置いてくれていることもあり、まずは得意分野である劇映画を作り、そこからライブ用の映像を組み立てることを思いついたという。そのプロセスから生まれた劇映画が『悪は存在しない』で、無音のライブ用映像が第24回東京フィルメックスで上映された『GIFT』である。

■「セリフの反復練習で自分自身はこの役を演じるにふさわしい人間なんだと、俳優に身体的に理解してもらうことが重要」

物語の構想は、石橋英子の仕事場がある東京から2時間ほど離れた土地を訪ねた時に生まれたという。
「石橋さんの音楽が生まれる場所に行けば何かヒントが得られるかもしれないと思いました。冬に訪ねた時に、いろいろな生物の活動が低下しているなか、確かに何かが自然の風景の中でうごめいているのを感じました。自然の中のうごめきは石橋さんの音楽と調和するような気がしました。そして、この土地に住む方々が自然についてどう考えているかをお聞きした際の言葉が、具体的に映画の中でセリフとして反映されています」

巧(大美賀均)が一人娘の玲花(西川玲)と暮らす集落に、グランピング施設建設計画が持ち上がる。東京から住民説明会に出向いた担当者の高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)の杜撰な説明からは浄化槽の設置場所などの問題が散見され、住民たちはいぶかしむ。実際にこの計画は、コロナ禍の助成金目当てで芸能事務所が企てたものであることが露見し、住民の反意は募るばかり。一方、高橋と黛は、この地に足繁く通い巧や村の人々と触れ合うにつれ、自然と人間についての見解を改めていく。巧を演じた大美賀均は『偶然と想像』に制作として関わり、準備段階ではスタンドイン(カメラテスト用の代役)を務めていたという。高橋を演じた小坂竜士は『ドライブ・マイ・カー』に車両スタッフとして関わっている。そのほか『ハッピー・アワー』(15)に出演していた渋谷采郁以外は、プロフェッショナルの演者ではない役者を多数配している。そのキャスティングには濱口メソッドの真髄である、「セリフの徹底的反復による演技」も関係しているという。

「(セリフの)反復練習は、普段の自分だったら言わないような言葉を本当に口の筋肉のレベルで慣れてもらい、自然に言えるようになってもらうことが目的でやっています。大美賀さんには薪割りを徹底的にやってもらいました。反復はとても身体的な行為だと思っていて、セリフや動きを繰り返し、何かを着実に身につける。その時に、自分自身はこの役を演じるにふさわしい人間なんだと、身体的に理解してもらうことがとても重要です。役者が身体で感じている情報は、カメラの後ろにいる我々よりもはるかに大きいものだと思うからです。あるときに自発的に動けるようになり、自分は何も指示しなくても、本当にこの役はこういう人なんだろうという振る舞いができるようになることがあります。その状態になってしまえば、我々はついて行くだけで、彼らの集中力が一番高まっている瞬間にカメラを回せるかどうかだけが勝負になります」

濱口監督の過去の作品群と比べ、今作ではカメラの動きに特徴がある。それについても、Q&Aのモデレーターを務めた映画評論家より質問が出ていた。その後に出た質問の音楽とカメラ位置は、今作で濱口監督が観客との関係を作る方法として行ったと認めている。

■カメラの置き方は、観客との関係を自分なりに作ったもの

「音楽のライブ映像を作るということが大きいと思います。今回は、誰の視点かと言うとカメラの視点でしかないものを入れるようにしました。自分の過去作を見ていくと、カメラを見る登場人物がいます。だいたい対話の最中にカメラを見るので、このカメラはいわゆるPOV(ポイント・オブ・ビュー、視点)ショットと呼ばれるものです。自分の考えではPOVショットは撮ったことがない、というのが正直なところで、カメラが別の誰かの視点を代理できるとは思っていません。カメラはただそこにいて、撮影行為をしているのみです。いわゆるPOVショットでは説明できないようなショットもいくつかはやっていたりしますが、今回は本当に『カメラが撮っているんだ』ということを明らかにしたかった。普段そういうものが一般的に避けられるのは、観客が映画を信じられなくなるからだと思います。でも映画制作を続けてきて、段々と観客にもっと力を借りてもいいんじゃないかと思っています。自分たちが撮っているものは本物であるというふりをせずに、それ以外にも観客と付き合っていく方法があるんじゃないかと。今回のカメラの置き方は、観客との関係を自分なりに作ったものです」

同様に、石橋英子による音楽の使い方にも、濱口監督なりの観客との向き合い方が反映されている。「石橋さんに作っていただいたメインテーマ曲は、撮影を終えて編集したものを見て作っていただいたので、本当に映像とよくマッチしている美しい曲でした。無理なく観客を感情的な高まりに連れて行くような、そういう楽曲でもあると思います。本当に美しく、何度でも使いたいと思ったんですけれども、一方で、特に美しい音楽は観客の感情をコントロールしてしまう側面があるわけです。僕が観客と結びたい関係は、さっきのカメラの話とつながるかもしれませんが、もうちょっとだけ冷めた関係というか、少し距離がある関係性でした。少し距離があったほうが、この映画とちゃんと向き合ってもらえると思っていました。
そこで、ある程度音楽を聴かせた上で、あるところで乱暴に断ち切ることをしています。おそらく観客はもっと長く聴いていたいと思うようなときに断ち切ると、どこか宙ぶらりんになるのですが、実際のところ、音楽は消えても映像と環境音は続いています。音楽が消えた時に、映像と音響が生々しく感じられると思います。そのときにおそらく音楽にとっても映像にとってもいい関係、お互いに独立した関係が観客と結べるんじゃないかと思っています。映像と音楽と観客が、どこか大人の関係が結べるようになる使い方を心がけました」

Q&Aでは、ラストシーンの衝撃について多くの質問が寄せられていた。ここではネタバレは避けるが、映画祭の上映でも観客は一瞬あっけに取られ、そして大きな拍手が起きるといったことがよくあった。「人間として論理的なほうである」と自身を表す濱口監督によると、このエンディングは脚本を書いた当初からのものであり、最後まで変えようがなかったと言う。「このエンディングで間違いがないと思ったのは、撮影で実際に演じている彼らを撮っているときでした。先ほど、役としての経験を重ねた俳優が、脚本を書いた自分やカメラの後ろにいる自分よりもはるかに(キャラクターに対して)理解を持っていることがあると言いましたが、この場面でもそう感じていました。そして、シナリオに『霧が出てくる』と書いたところ、撮影で実際に霧が出てきたので『これでいいんだ』と思いました」と説明している。

1時間45分以上にも及んだQ&Aでは、わずか3年弱の間にカンヌ、ヴェネチア、ベルリンの3大映画祭の主要賞と、アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した“若き天才監督”の映画術に迫りたいと、身を乗り出すように聞いている若い観客の姿が目立った。観客席から出る質問も、登場人物の衣装の色彩設定であったり、車の撮影におけるカメラ位置など、専門的な視点から寄せられたものが多かった。釜山国際映画祭は、映画を観る目が肥えた観客が集まる場所として知られているが、映画祭の数多いイベントの中でも最も白熱したトークの一つだったと思う。濱口監督が試みたように、彼の作品は確実に観客と作品の向き合い方に挑戦している。この態度こそ、釜山が愛してやまない映画制作者の姿なのだろう。

取材・文/平井伊都子
 
   

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