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セルビアを24年ぶりのEUROに導いた監督“ピクシー”。W杯敗退後の苦悩の日々も吐露「厳しい批判受け、立ち直るのは簡単ではなかった」

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セルビアを24年ぶりのEUROに導いた監督“ピクシー”。W杯敗退後の苦悩の日々も吐露「厳しい批判受け、立ち直るのは簡単ではなかった」(C)THE DIGEST
 現地時間11月19日に行なわれたEURO2024予選で、セルビア代表はブルガリア代表と2-2で引き分け、勝点を14に積み上げてグループGでの2位が確定、24年ぶりの本大会出場を決めた。

【PHOTO】フリット、ジダン、イニエスタ…厳選写真で振り返る過去30年の「超ワールドクラス図鑑」攻撃的MF編 セルビア南部の都市レスコヴァツに新設されたグラドスキ・スタディオン・ドゥボチツァで開催された予選最終戦、8000人ほどの観客の前でセルビアは17分にCKからネマニャ・グデリのシュートがクロスバーにはね返されたところをミロシュ・ヴェリコビッチが頭で詰めて先制。59分、69分と立て続けに失点したものの、82分に再びCKからスルジャン・バビッチのヘッド弾が炸裂し、間もなくして歓喜の瞬間を迎えることとなった。

 セルビアを率いたドラガン・ストイコビッチ監督は、直前の練習を行なった故郷ニシュからも近いレスコヴァツで決めたEURO出場に興奮を隠さず、「国民の全員に、EURO出場おめでとうと言いたい。24年待たなければならなかったが、それは価値のあるものだ。(ドゥシャン・)ヴラホビッチ(2000年1月28日生まれ)は当時まだ生まれていなかったか、あるいはまだ赤ん坊だったか……とにかく大きな成功であり、セルビア・サッカーの日だ」と語り、以下のように続けた(現地メディア『sportal.rs』より)。

「我々はプロジェクトを成功させた。我らが選手たちは英雄であり、歴史を刻んだ黄金の世代だ。セルビアは初めて、単独の国としてEUROに出場する。大きな満足感があり、喜びだ。最後まで成功できると信じていた。我々のトリコロール(国旗)が来夏、開催国ドイツではためくことだろう!」

 ユーゴスラビア、セルビア・モンテネグロを経て、2006年にセルビア代表としての歩みを始めてから、13人目(暫定含む)の代表監督となったストイコビッチは、同国で初めてワールドカップとEUROの両方に母国を導いた監督となった(ユーゴスラビア全体の歴史においては、故イビチャ・オシム監督が1990年W杯とEURO1992で予選を勝ち抜いたものの、後者は内戦への制裁により出場資格そのものが取り消しとなった)。
  もっとも、今回の偉業についてストイコビッチは「私は自分自身を褒める人間ではなく、今後もそのようなことはしない。普通に振る舞うだけだ。レスコヴァツは寒いが、心は温かい」とだけ語り、「選手はメンタリティーの強さを示した。諦めずに立ち向かったのは、このチームの大きな特長だ。彼らの素晴らしい努力にこそ、全ての称賛が与えられるべきだ」と、戦った選手たちを褒め称えることを優先している。
 「選手たちは、(PK戦の末に本大会出場権を逃した2020年11月のEURO2020予選プレーオフの)スコットランド戦で大きなショックを受けたが、それでも立ち直り、カタールW杯出場、UEFAネーションズリーグのリーグA昇格、そして今度はEURO本大会に駒を進めてみせた。私自身は、カタールでの失敗(1分け2敗でグループリーグ敗退)の“負債”を国に対して返したところだ」

「鷲」を意味する「オルロヴィ」の愛称を持つ代表チームの、来夏ドイツでの可能性を訊かれると、「できる限り良い結果を出すように努力する」とだけ答え、「カタールW杯の後はショックだった。厳しい言葉や批判を受け、立ち直るのは簡単ではなかった。空席だらけのスタジアムでの試合……サッカー以外のことでも多くの問題が起こった。しかし、私の心は満たされている。監督として、セルビアをEUROに導いたからだ」と、ここまでの苦悩を吐露した。

 彼はまた、「この結果を誇りに思う。お金では買えない。私としては、もう監督である必要はない」と去就についても発言。セルビア・メディア『SPUTNIK』によれば、彼とサッカー連盟との契約期間は12月31日までで、EURO出場権を獲得した場合は本大会終了まで延長されるとのことだが、一方でストイコビッチ自身の「今後もチームを率いるつもりだが、まだ連盟とその件で話したことはない」とのコメント、彼が重圧の下で非常にストレスを感じていること、そしてサウジアラビアからオファーが届いていることなどを紹介している。 対して『sportal.rs』は、「セルビアをEUROに導いたことに対して、指揮官は称賛を受けるべきだ。彼は代表の歴史において、初めて2つのメジャー大会で連続して予選突破した最初の監督になった。今予選でのパフォーマンスは、我々の望むクオリティーに達しておらず、今回のブルガリア戦を含め、数年後には誰もそれを覚えていないかもしれないが、重要なのは最終的な結果だ。本大会までには、不足点を修正するための十分な時間があり、ピクシーもそれを承知している。全ては彼次第だ」と、賛否両論の現監督に期待を寄せた。
  ところで、前述の通り、ストイコビッチ監督自身も言及した24年ぶりのEURO出場については、地元メディアも感慨深さを隠さず、『zurnal.rs』は「24年という長い年月……長すぎた。W杯に関してはそれほどの待ち続ける苦痛はなかったが、この大陸レベルのチャンピオンシップは……」と記述。そしてEURO2000を回想し、政情不安の中で印象深いグループリーグ3試合の後、劇的な形で勝ち進んだ準々決勝でオランダに完膚なきまでに叩きのめされた戦いを振り返った。

 また、名将ヴヤディン・ボシュコフに率いられた当時のメンバーには現代表監督のストイコビッチの他、アシスタントのゴラン・ジョロビッチが名を連ね、他にもヴラディミール・ユーゴビッチ、プレドラグ・ミヤトビッチ、サボ・ミロシェビッチ、デヤン・スタンコビッチ、シニシャ・ミハイロビッチ、マテヤ・ケジュマンら新旧スター選手を揃えていたことを伝えている。

構成●THE DIGEST編集部
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