
もしも恋愛という現象を、「あなたとわたしをイコールで結ぶ異様な情熱」と定義するなら、本作は間違いなく恋愛小説と呼べるだろう
参考:作家・呉勝浩が語る、コロナ禍で“理不尽への抵抗”を描いた意味 「悲劇に抵抗し、未来へと繋げていく」
そう、『Q』(小学館)の著者・呉勝浩は、一部書店で配られるフリーペーパーの著者エッセイに書いている。著者の言う通り、恋愛という現象を「あなたとわたしをイコールで結ぶ異様な情熱」であると定義することができるなら、この本を読み終えた読者である私は、この『Q』という物語に恋をしたとも言えるだろう。「あなたとわたし」。この場合、「あなた」は『Q』という672ページもあるこの分厚い小説、「わたし」は読者。本作には、同様の意味を持つ「あなたとわたし」がたくさんいる。例えば、血の繋がらない姉と弟。例えば、「恋人」と定義していいのかさえわからない、はみ出し者の恋人たち。例えば、「Q」と、「Q」の熱狂的なファンである通称「アンサーズ」たち。「あなたとわたし」をいとも容易くイコールで結んでしまうこの「異様な情熱」は、一度侵食したが最後、「わたしたち」を「退屈で、平穏な日常」に戻してはくれない。
今月11月8日に発売された『Q』は、昨年のミステリランキングを席巻し話題を呼んだ『爆弾』(講談社)をはじめ、直近三作品が直木賞にすべてノミネートされている著者、呉勝浩による最新作だ。舞台は千葉県富津市。物語の中心を担うのは、血の繋がらない姉弟。過去に事件を起こし、執行猶予中で富津市の清掃会社に勤めるハチこと町谷亜八(以下ハチ)と、東京で働く、ハチと同い年の姉、ロクこと睦深(以下ロク)。そして、2人が愛してやまない弟、キュウこと町谷侑九(以下キュウ)。彼は、ダンスの天賦の才を持ち、やがてカリスマ「Q」として、コロナ禍の日本どころか、世界中の人々の心を揺り動かしていく。
特筆すべきは、虚構の中にある、確かなリアリティだ。怪物のような得体の知れなさを持つ義理の父親・重和の見えない支配と、そこから派生した数々の悲劇から逃れるように必死で生きてきた血の繋がらない姉弟たちの愛憎劇に加え、「Q」に自分自身の秘めた欲望を映し、突き動かされていく人々の群像劇という、現代の日本を舞台にした、ある種の神話のような、壮大な物語。さらには冒頭からダンスクラブ、ドラッグ、主人公を狙う不気味な刺青男と、きな臭いワードの連続。これほど非日常のオンパレードのような作品もないが、そこに、「わたし」こと主人公・ハチが、すっくと立っていることがとてもいい。うんざりするほど退屈で、どうしようもない、先行き不明な日常を抱えて。「自分は女なのか、男なのか。悩むチャンスを逃した」というハチは「わたしはわたし」だと思う。自分の中から湧き上がってくる感情にのみ従って、時に戸惑い、葛藤しながら生きているハチの純粋さが、物語を真っ直ぐに貫いている。
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また、コロナ禍の描写も興味深い。物語中盤でふと登場する「おまえ、知らないのか?いま横浜港で、豪華客船が立ち往生してるの」という登場人物の台詞。そこからというもの、登場人物たちの人生を翻弄しながら、着実に進行していくコロナ禍の描写の具体性は、私たちが通ってきた「あの頃」を確実に呼び起こす作用を持ち、コロナ禍だけでなく、彼ら彼女らの物語もまた、本当にあった出来事のように、読者を錯覚させずにはいられない。
本作が描いているのは、言って見れば、2人の人物が作るハヤシライスの異なる味わいだ。ロクが、婚約者である本庄健幹に作るハヤシライスは、「まるで健幹の舌だけを狙い撃ちしたかのように」完璧な味だった。それを食べた夜をきっかけに、彼は、彼女の壮大な夢に本格的に巻き込まれ、人生そのものを懸けることになる。いわばそれは、「退屈で、平穏な日常」から逸脱し、「惜しみなく現実を捧げ」ずにはいられなくなる、刺激的な味だ。一方、高校時代からの奇妙な縁で、ハチの祖父母の家に居候し、毎晩夕ご飯を作って待っている有吉が、ハチに作るハヤシライスの味は、まさしく「退屈で、平穏な日常」そのもののような味。その味は「驚くほどふつう」で、「これならカレーのほうが美味いとふたりで結論を出した」。その一見何気ないやりとりは、彼らの日常が、できることなら失いたくない、いかに心地よく幸せなものであるかを伝えていたりする。それでも、また違う宿命的な誰か・何かに出会ってしまったら、それが持つ「異様な情熱」に引っ張られてしまうのが「憐れなほど愚かしい」人間のサガであって、人生というものは、本当にままならない。だからこそ、平穏な日常を生きる私たち読者にとっては馴染み深いその味もまた、格別なのだと言うことを、全篇刺激的で蠱惑的な、ロクの作るハヤシライスのような本作は教えてくれたりするのである。